つまらない言い方だけど、作品の中の政治性や社会性はどうでもよくて性癖や断片的細部ばかりが大事、という享楽的な態度は、移民労働者や性的マイノリティの人権よりもスポーツの娯楽性や熱狂が大事、というナショナリズムにもやっぱり通じているんだろうな。どっちも必要、となぜまっすぐ言えないのか。
どうやらサッカーが人権に勝ったようだな
アティチュードの違い。
https://www.afpbb.com/articles/-/3440157
ゴッドファーザー / '72🇺🇸
パルプ・フィクション / '94🇺🇸
小さな恋のメロディ / '71🇬🇧
ニュー・シネマ・パラダイス / '88🇮🇹
スター・ウォーズ 帝国の逆襲 / '80🇺🇸
スクルージ / '70🇬🇧
追憶 / '73🇺🇸
フォレスト・ガンプ / '94🇺🇸
転校生 / '82🇯🇵
虹の女神 / '06🇯🇵
アプリがいろいろある。
東京五輪のころ、2人の選手が、医療崩壊が叫ばれていたにもかかわらず「俺たちは(サッカーを)"命がけで"やってるんだ」とか「(対戦国にコロナ陽性者が出て)ラッキー」とか社会性ゼロのクズ発言をした時、田嶋さんなんかが、内部で2人に注意、つーか、諌めるぐらいはしてるはず! ぐらいの信頼感を持っていたんだけど。だってアスリートのセカンドキャリア問題にサッカー界は熱心だったしなー。
まーいろいろ残念。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221122/k10013899461000.html
せっかくマストドンに来ましたので、ツイッタ生活で考えたことについてさらっと纏めておきます。
「ネトウヨ」、「非モテ」、所謂「表現の自由戦士」は三属性兼ねているケースも非常に多いのは皆様よくご存じかと思いますが、共通項は「被害者意識」と「加害性への無自覚」なんですよね。「不当に貶められた我ら日本人」「不当に虐げられた我ら男」「不当に嫌悪される我らオタク」という自意識。しかし実態は、彼らの行動をみていれば分かるように、めちゃくちゃ加害的なんですよ。なぜ彼らは「そうなっている」のかはまだ自分なりの結論が出ていませんが、ぼんやりと「自己肯定感の低さ」がその背景にあるのではないかなと思っています。鍵は多分、社会からの持続的な抑圧。ほんやりした印象とか感覚が先行して、きれいに言語化できていないのがもどかしい。
@pica_pica 安倍が第一次政権を放り投げた時に、この人の政治生命も終わったなー、自殺しなくてよかった、みたいなこと書いたんだけど、その後にしでかしたこと考えると本当に甘かったなと思います。「その人の行いに対する正当な評価」は大事だと思う次第です。
「やっときれいなラドンを見れた」66年前のカラー映像を再現。鍵を握った秘蔵フィルムとは?
https://www.huffingtonpost.jp/entry/rodan_jp_637749c3e4b07a02ca81eceb
備忘録として。
12/16から広島バルト11にて。
「お父さんは左?」「う、まーそうかな。」ぐらいの感じです。子は中学生。