且つ
敢えてわざわざ書くが
これはただ単に偶然時を同じくして起きた別の●●差別への反対のための連帯であった。
その上で、○○氏の糾弾も行いながら「●●差別に反対します」と表明した者らは沢山いた。
偶然同じ時期に反差別表明した結果「今別の当事者の方が大事なので、タイミング悪くて利用されたあなたがたを軽蔑する。」と抜かされたに等しいわけだが
反差別に優先順位があるのか?
「○○氏の糾弾と●●差別に反対は同時に為ることだ」と、ハッシュタグを用い、言葉を尽くして説明した当事者が居る
あげつらわれ罪を問うか?
利用され罪を問うか?
タイミング悪罪を問うか?
SWiWなどだって「今タイミング悪い」とかって”優先順位”で省かれてきた。常に。トランスもそう。見てきたはずだ。
様々な差別で何度も繰り返されてることだけど、「波風立て」ないで「静かにして」てほしいなら差別する側をどうにかしてくれよ。差別が起きてるから抵抗する存在が現れるわけで、抵抗する側に黙ってろって言うのはおかしい。
ただ引っ掻き回したいだけの奴に言うならわかるけどさ。
こんなの現実なのが信じがたい。絶望しかない。
カナダ、性的少数者にアメリカ渡航のリスクを警告 - BBCニュース https://www.bbc.com/japanese/66656041
惹かれや欲求や興奮が何であるかを理由に排除したって性暴力は無くならない。ケアが何も無いんじゃ誰も助からない。
私が過去に受けた性暴力は、我々(加害者含め)が「子どもだから」周囲は真剣に受けとめなかった。誰も我々をケアしなかった。誰もが我々を「子どもだから」と放置した。SNSで「か弱い女子どもを守らなきゃ」なこと言っておいて、実際のところ「子どもだから」と真剣に受けとめない。家父長制は自分の都合でしか動かない。ただ都合良く管理し支配し排除したいだけ。
社会が加害(被害)を加害(被害)として受けとめて傷つけられた者のケアをすること、再発無くすこと、防止のために動くこと(決して排除ではなく)が無ければ、特定の属性を排除したところで毎日誰かがどこかで傷つけられてるし殺されてる。SNSで差別してる方々、性暴力のこと持ち出してもこの事分かってなさすぎて、結局誰も助からない。つらい。
行為と欲望を切り分けられないと、属性と個々もまた切り分けられなくなる。欲望があるということ=行為が生じるわけではないし、ある属性に所属していること=その属性に所属している他者と同じ振る舞いをするわけではない。そして後者の「属性と個々の切り分けができない」ことは差別・ヘイトの特徴でもある。
「○○」という現状ではセンセーショナルなものとされてしまっている属性の名を目にするとどうしても拒絶反応が先に来てしまうのかもしれないが、その背後にある論理をまなざさないと、より周縁化された者に対する「よりわかりにくい」差別・ヘイトに無自覚に加担することになってしまう。当然、「○○」は現在話題になっている特定の属性のみに当てはまるわけではない。
自分の属性を明かさずに、あるいは他者に推測させることなく、なんらかの抵抗運動をすることはできない。つまり「属性が他者に知られる/推測可能な状況になる」ということだけでもって「加害(の可能性がある)」と認定されてしまうのであれば、あらゆる不当な行為に対して一切の抵抗ができなくなる。
差別に抵抗する者が被差別当事者である場合はもちろんだが、非当事者であっても他者から「あの人は当事者なのだろう」と推測されることを拒む手段はない。自らの属性を明記していない場合は特にそうだし、そして自らの属性を明かさなくてはならない義務もない。しかしいずれにせよ、不当な行為に抵抗しているのだから当事者なのだろう、という推測は本人の意図と関係なく常に可能である。
となると、属性の明示=加害行為としてしまうと、他者による勝手な属性の推測によって加害認定が可能になるし、その否定のためには属性を明かすことが必須になり、強制的なカムアウトになる危険性が生じる(あるいは己に嘘をつく必要が生じる)。そしてカムアウトの結果、実際に「当事者」だった場合、属性の明示=加害行為という方程式から即座に断罪されることになる。
ツイッターでデモが呼びかけられているので、こちらでも。
労働者みんなが連帯すべきことだよね。
スト、応援しています、くらいのことしか書けないけど、さまざまな交渉がなされて、それでもどうにもならず、ストを打つしかない、ということになったのはわかる。決断した労組幹部、賛成した組合員、連帯するひと、みなさんに敬意を表し、応援し、連帯します。
欲望を抱いているだけで罪になるのであれば、それはそのうち欲望を抱く「可能性」があるというだけで罪になる状況にスライドするし、さらに進んで欲望を抱く可能性のある「属性」そのものが罪になる。
仮に本屋という属性を持つ私が無差別な殺人欲求を抱いているとして、それを実際におこなう前に罪とされるのなら、そのうち私だけではなく「本屋」そのものが殺人欲求を抱く可能性がある存在として罪になる。
本屋と殺人欲求には直接の関わりはない、という反論がくるかもしれない。では本屋である私が「ヘイト本を置きたい」という欲求を抱いているとして、実際にヘイト本を置かずとも罪になるのなら、そのうち「本屋」そのものがヘイト本を置く存在として断罪されるようになる。
確かにヘイト本が置かれている=加害行為をおこなっている本屋は実在する。そしてあらゆる本屋はヘイト本を置く可能性を持っている。しかしだからといって「あらゆる本屋にヘイト本がある」とは言えないし、無自覚に置いてある/意図的に置こうとする意思がある「可能性がある」からといって、すべての本屋を一律的に罪に問うこともできない。
欲望や加害可能性≒属性でもって罪とする、というのはこういうことではないか。
20↑🏳️🌈🏳️⚧️トランスジェンダーでノンバイナリー。Aジェンダー。ゼノアイデンティティ。クィア。🟨⬜🟪⬛お絵描きが好き。うつ病持ち。
種差別反対。全ての差別、搾取、暴力に反対できるように。