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社会の高齢化が進んでいくにつれて、ホテル業務は老人ホームや介護職に限りなく近づいていくな、と、清掃のアルバイトをしていると実感する。

よし。今日も働く。今日は働いたら冷房の効いた図書館へ行こう。

『放浪息子』はほんとうによくできた作品だったな。

『ユーフォリア』の日本語吹き替えで、ハンター・シェイファー演じるジュールズに女性声優があてられていたのはうれしかった。

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そういう改悪もこれまで観てきたから、アニメ『スキップとローファー』のなおちゃんが原作のマンガでは実際どんな描かれ方をしているのか、読んでみないとなんとも言えないな、とも思う。でもなあ……。

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アニメではあんな感じのなおちゃんだけど、マンガではどうなんだろう。

田島列島『子供はわかってあげない』における重要キャラクター、アキちゃん(門司くんの"兄")の、マンガでの描かれ方と実写映画での演じられ方の乖離を思い出す。マンガ内でもちょこちょこ危うい表現はあったが(門司くんに”兄”と紹介されたり)、田島列島の絵柄も相まって、他のキャラに明かされない限りマンガ内世界(そしてマンガの読者)ではアキちゃんはパスしているように見えた。アキちゃんは田島列島の次作『水は海に向かって流れる』の終盤にも一度登場するのだが、そのときアキちゃんは誰からもジェンダーについて言及されなかったから、『水は〜』しか読んでいない人にとってアキちゃんはシスジェンダーの女性キャラクターにしか見えないだろう。

でも実写映画ではそんなアキちゃんのイメージ(マンガの絵柄によるパス)はぶち壊されていた。中性的な顔立ちの男性俳優が起用され、髪型もスポーツ刈りレベルの短さに改悪され、「オカマ口調」で喋る実写オリジナルのシーンが足され、アキちゃんは完膚なきまでに「(露悪的なまでにばればれの)トランスジェンダー女性」に仕立て上げられていた。最悪だった。

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なおちゃんはどうしてこの作品に登場しているんだろう。「叔母」という便利な(とくべつ言及しなくてもストーリーが成立するような)ポジションにマイノリティを据え置いて、主な舞台である学園の中でトランスが出てくることはない、その、一抹のさみしさ。

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アニメ『スキップとローファー』を観ていると、主人公・みつみの叔母である(直接の言及はないが十中八九トランスジェンダー女性であろう)なおちゃんの解像度の粗さばかりに目がいってしまう。みつみの学校周り(ローファーを履いている子たち)の解像度ばかり鮮明で、そこから抜け出た、大人の、なおちゃんの解像度の粗さが。

「男装」した状態でみつみのクラスメイトと偶然知り合い、「男装」を解除して普段の姿になったあと、「保険証」を見せて「男性」であることを証明するなおちゃん。「生物学的には男」というセリフを口にするなおちゃん。びっくりしたときなどに過度に男声っぽい発声と声色になるなおちゃん……。

去年くるったように毎日向き合っていた書を見返すと、わたしはかなり自死の瀬戸際だったのだな、とわかってくる。死ななくてよかった。

夏を越して、お金と気持ちに余裕が出てきたら、珠洲や輪島のほうへ行ったり、電車で鶴城の方面に行きたいな。

山を見るとほんとうに落ち着く。ずっと見ていられる。

金沢はまだ風が涼しい。道端の紫陽花も元気。

わたしの性格や立ち居振る舞いがそうさせるのか、それとも単に人との巡り合わせが悪いのか、これまで出会ってきた何人かの、すこし年上の、わたしと同じような人(とややぼかして書く)に毎度ひどいことを言われたりされたりしてきて、ここまでいくとさすがにわたしと同じような人に対する警戒心が芽生えてもくる。

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『Coco壱と国鉄』に登場したAさんには、あのエッセイ中に書いたものよりもっとしんどいことをたくさん言われたりされたりし続けたのだけど、あれ以上ドギツいことを書いたりあれ以上列挙したりするとエッセイの内容自体が変わってしまうから、かなり抑制してあれだけを書くに留めた。

どんなチームでもクライアントでも、さまざまな場所と局面で、重苦しい空気の打ち合わせなどで毎度わたしが明るい空気醸成役(ある種ピエロのような)をやるの、そろそろ他者にとっての自分の立ち位置を考え直さないとなあとか思う。

まあ、とはいえ、「LGBT法案」(真面目に正式名称を書く気にもなれない)絡みの話題はさすがに、追い始めると際限なく気が滅入ってくる。

10年後20年後にそれぞれがそれぞれの場所で気持ちよく過ごし、笑っていられたらいいな。

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