精神科の診療問題 確かに、通院までの時間に加えて、待ち時間が1時間から2時間発生したり、薬を待つ時間等も含めたら、近所に通院している病院がある私の場合ですら3、4時間は取られるから、特にメンタルヘルスの状態がかなり悪い人に長時間診察に越させる仕組みには、色々な面で問題があると感じる。
私の場合は、本当に体調が悪いときは、自宅まで診察に来てもらっていたけど、近場で、特別な事情を考慮してくれていたからできていたことだし...。
体調が悪いときは、例えばケアワーカーなどの人に薬だけ取りに行ってもらえる制度(今私が考えただけで、実際にはない制度)も、特に一人暮らしでメンタルヘルスの不調と向き合っている人には必要なのではと感じるし、カウンセリングのオンライン化もやってほしいなと前々から感じている。+カウンセリングの保険適用化
春になって植木鉢の多肉植物が元気になったんでヨシ…。(子どもと植えたけど、いちばんのお気に入りが取られたり、むしられたり枯れそうになってたりしてた)
“がん闘病”森永卓郎氏、ついに花見ができた「あと何カ月間は生きていけそう。1年はキツいかも(笑い)」
https://news.yahoo.co.jp/articles/7204cc175876718aaad0583b7d287553069e1040
こうして発信できるのはすごいね。近い未来の避けがたい「死」を見据えるのはとても恐ろしいことのはずなのだが
こないだ読んだJ・グレッグの本に、他の動物と人間の知性を決定的に分けるものは、「自分が将来死ぬ定めにあること」を理解できるかどうかだ、と書いてあってそうだよな、と思う。
しかしこの「自分はいずれ死ぬ」という理解って「今自分がしていることが全て究極のところ無意味である」、という虚無的な認識に容易に結びつくはずのもので、こんなことを理解したとして生存に有利になる点は何一つないはずである。
しかるになぜ人間はこんな認識を抱えながら生きていけるのか、ということの答えが、「死すべき定めを理解しつつ、その事実を脇に置いておくことができる」というもう一つの能力であるらしい。未来について現実には起こりえないことを含めてあらゆる事態を想定できる人類の高い知性は、必然的に「自身の死すべき定め」を認識させるに至るが、その認識に絶望せずに生きていくために、この「死をひとまず脇に置く」という能力が組み合わさったことが、人類の飛躍の鍵だという。
言われてみれば目からウロコで、確かになぜいずれ死ぬのが解ってるのにふだんはそれを忘れて日常のチマチマしたことなんかやれるのか、というのは全然当たり前の話ではなかったんだよな
神奈川から東京をあちこち14年
(最後に住んだのは中野坂上)
2006年に帰郷し現在は仙台住み
描いたり作ったりが好きです
(イラスト・張子・短歌・写真など)
有意義なことは述べません
極端なお風呂ギライ
最近の抱負:ジャッジしない