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革ジャンの季節が通り過ぎた?
いや、まだ!

以前ケンドーコバヤシが「今の日本で革ジャン着れる日は1年に1日くらいしかない」って言ってたけど、本当になかなかないよね。難しい。私が海外に住んでるのはそのためと言っても過言ではない。(革ジャン持ってない)

もしかしたら、精神の病気の回復は自己肯定感を持つことが最重要なのかもしれない。もちもん、薬は大切である。脳の機能障害の病気なのだから。でも、自己肯定感を持つことは何か病状の回復とリンクしていることを私の経験からは言えるのである。安定した自我は安定した世界を見せてくれる。混迷から回復するとはまさに言えて妙である。

 精神科の診療問題 確かに、通院までの時間に加えて、待ち時間が1時間から2時間発生したり、薬を待つ時間等も含めたら、近所に通院している病院がある私の場合ですら3、4時間は取られるから、特にメンタルヘルスの状態がかなり悪い人に長時間診察に越させる仕組みには、色々な面で問題があると感じる。

 私の場合は、本当に体調が悪いときは、自宅まで診察に来てもらっていたけど、近場で、特別な事情を考慮してくれていたからできていたことだし...。

 体調が悪いときは、例えばケアワーカーなどの人に薬だけ取りに行ってもらえる制度(今私が考えただけで、実際にはない制度)も、特に一人暮らしでメンタルヘルスの不調と向き合っている人には必要なのではと感じるし、カウンセリングのオンライン化もやってほしいなと前々から感じている。+カウンセリングの保険適用化

夏場だけでもいいから精神科のオンライン診療やってほしいなあ。5分で終わる診察のために酷暑の中を小一時間かけて移動するのマジでキツいっす。。。

あと道端に落ちてた多肉を適当にのせたりもしてた。定着した様子。

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春になって植木鉢の多肉植物が元気になったんでヨシ…。(子どもと植えたけど、いちばんのお気に入りが取られたり、むしられたり枯れそうになってたりしてた)

今住んでるとこが江戸時代に穢多部落があったところに近くて、カムイ伝以来あった興味が再燃してんの。近年じゃ学校教科書レベルで「身分の低い者」じゃなくて「身分の外におかれた」みたいに認識が改まってるらしく、情報が更新されつつある。

おい待ちな!ここはとんちの効かせどころだぜ....どれどれ....ほう....なるほど....!なんもわからん

メメントモリ!(と言いつつ部屋を片付け...ない)

「太陽も死も、われわれはこれを凝視することができない」とフランスのラ・ロシュフコーが「箴言集」に書いたが、死への囚われは、この頃少なくなってきた。何か自身の中の何かが変わろうとしているかのよう…
最近まで、死ぬのが怖くて仕方なかった。大学生時代は毎日死を意識していて、夜寝るのが怖かった。一度そんな意識も消えたのだが、ここ10年近く死の恐怖に悩んだ。
今も、死とは不安を呼び起こす。でも、恐怖ではなくなった。何故そうなったかは分からぬが…

たぶん余命宣告とか受けて「避けがたい死」に直面したときに人間は、「なぜあのときあんなムダなことを」とか無為に過ごした時間を嘆いたりするのだろうが、毎日「死」を思って悔いなく過ごす、とかいうことはおそらく上に述べた人間の習い性から考えるとそもそもできないことなんだろうな

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“がん闘病”森永卓郎氏、ついに花見ができた「あと何カ月間は生きていけそう。1年はキツいかも(笑い)」
news.yahoo.co.jp/articles/7204
こうして発信できるのはすごいね。近い未来の避けがたい「死」を見据えるのはとても恐ろしいことのはずなのだが

こないだ読んだJ・グレッグの本に、他の動物と人間の知性を決定的に分けるものは、「自分が将来死ぬ定めにあること」を理解できるかどうかだ、と書いてあってそうだよな、と思う。
しかしこの「自分はいずれ死ぬ」という理解って「今自分がしていることが全て究極のところ無意味である」、という虚無的な認識に容易に結びつくはずのもので、こんなことを理解したとして生存に有利になる点は何一つないはずである。
しかるになぜ人間はこんな認識を抱えながら生きていけるのか、ということの答えが、「死すべき定めを理解しつつ、その事実を脇に置いておくことができる」というもう一つの能力であるらしい。未来について現実には起こりえないことを含めてあらゆる事態を想定できる人類の高い知性は、必然的に「自身の死すべき定め」を認識させるに至るが、その認識に絶望せずに生きていくために、この「死をひとまず脇に置く」という能力が組み合わさったことが、人類の飛躍の鍵だという。
言われてみれば目からウロコで、確かになぜいずれ死ぬのが解ってるのにふだんはそれを忘れて日常のチマチマしたことなんかやれるのか、というのは全然当たり前の話ではなかったんだよな

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農林年金っていつの間にか廃止されてたんだな
農協ヤバいな

会話の記録

我: おう、猫が来てるな

子: それがどうした

我: めずらしく二匹来てるね

子: そうね

我: おお...

子: 何

我: おれのを除いて、今この場には魂が19個あるな!!

子:

我: たいしたもんだ!

子:

我: パン買ってきたけど

子: 今いいわ

我: はい

猫が「そろそろ毛を散らかしたいからあたたかになりなさい」と言ったので季節はこれに従い、猫は毛を散らかした。誉むべきかな。

犯罪者と精神障害者は同じ位置づけだった。社会の中で、烙印を隠して彷徨い歩く。家族と本人がそれを引き受ける。そんな時代。
でも、今でも、ある意味、そうなのだ。障害が個性とか、障害者が障害を乗り越える問題とか、そういった考えがまかり通っている限り、まだまだ、社会が変わる必要性は大きくある。
障害は社会が作り出す妄想かもしれない。何かに価値をおいた時に見える幻覚なのではないだろうか?その人それ自身を見ようとしない幻に囚われている人たちの。

新明解の「味はうまい」はムダに力強くて、いつも「お前の感想だろうがw」って噴くんだよね

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