知らんけど、応用行動分析って怖いよな。少なくとも私の肌にはまったく合わないわ。発達障害が「直せる」ってその定義に矛盾するだろ。不登校は「直す」ものではないよ。ヤバ過ぎ。
「直せない行動の問題は、ない」 闘う心理学者・奥田健次さんの怒り:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASS8210S0S82UTFL01CM.html #
これのっけから酷いですね
軍隊みたいだって思いました
直す...って考えていることこそが、なんだかとても驕っていると思いました
私の言葉を使わせてもらえれば、とても「万能的」で幼い世界観だと思いました。熱血系の人のようなので非常に危険です。
しかし、はるか昔のことなのでうろ覚えですが、昔々、内山登紀夫さんのクリニックのTEACCHのセミナーに通って習っていた時に応用行動分析についての説明をサラッと受けた気がするのですが(もしかすると違う場所で習ったのかも)、確かに応用行動分析自体の発達障害に対するスタンスってこんな感じだったような印象があります。彼らは「直す」んですよね。「怖っ!」と思った記憶が…。
すごく怖いですね
これは発達障害の人の生きにくさを「社会に適応するように矯正して直す」という意味ですよね
精神障害界隈でも認知の歪みや社会に対する恐怖心などを「直す(治療する)」という試みがなされる場合がありますが、私はなんだかおかしいと感じていて(森田療法も変だと思ってます)
もちろんわたしは患者にすぎず、専門家ではないのでわからないのですが、社会へのかかわり方で生きにくさがだいぶ軽減されるという経験をしているので、常に変わるべきはひとを生きにくくしている社会の方だと思ってしまいます
私は個人の「治療」をしている側なので、「常に変わるべきは社会の側だ」だと仕事にならないんです。笑
(例えばインセルのように自他の未分化な人の「治療」は「あなたは悪くない。社会がみんな悪い」では済みません。もちろん「あなたが悪いやとも言わないけど)
だからもらんさんとは違うとは思うのですが、ただここで短い文章で(500字は十分短い)説明できることがあるとしたら、その個人の「社会との関わり方」みたいなものがかなりおかしくなっていて、それで実際に苦しいことになってる人は少なくない…というか、そうでない人はいないくらい…だと私は思っているので、そこにアプローチしてる感じですかね。
ただそのアプローチは私が「直す」と言うものではない。「治療」という言葉と矛盾しているけど。
今の日本では社会に目を向けられる人自体が少ないので、そう言う人が仰るように「これは社会の問題だ」と思えるようになったら、それは「直った」ことの一部かも知れない(個別性があるので一律には言えないけど)。
話は逸れるけど、それより私が気になっているのは発達障害の過剰診断で、それこそ社会がおかしいだけなのに「適応出来ない(当たり前)」健康な人が障害ありと「診断」されている気がすることなんですけどね。
わたし自身は精神分析を受けたことが無いのでどういうものだか知らないのです
やはり他者である心理士さんに対峙して自分の内面について考え語らねばならない時間は、本人にとっては苦痛なのでしょうか
精神科病院のリハビリを利用していて、そのあり方が居場所を用意したり作業療法に参加したりすることで自然に自己肯定感と社会性を得るという時間をかけるかたちから、より短期間で社会に適応することを目的としたプログラム重視のものに変わってきているのでは、という感想を持っています
前者の時間をかけるやり方の方が、本人にとっても長期的に見ても良いことのようにも思えます
なんだか申し訳ありません
プロに仕事以外の場で、お仕事のお話をさせてしまいました
大変なお仕事だと思いますが、今、最も求められていることでもあるともおもうのです
お体おいといください
ご活躍を願って応援しています