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水島上等兵 さんがブースト

BT 自然科学系の研究者でも過去の科学の古典を吟味して楽しむというタイプの人はいないわけではないし、ニュートンの著作の注釈をしたような人もいる。
また、分野の歴史をまとめておきたいと一念発起して史料を整備してくれる人もいるのだが、確かに多数派ではない。
つまりは科学史に興味を持つ自然科学者はいるのだが、そうした人は主に以下の二種類とみなされる傾向がある。
一つは、己の科学の研究業績はそこまでではないと感じているが、広い視野があったり、教育に関心のある人。
もう一つは逆に分野の創始者のような人。こういう人は過去に同じことをした人の著作を読みたがる。たとえばニュートンなど。そして過去のものから直接ではないにせよ間接的なインスピレーションを得たりする。
大半がその両者の中間で、直近の3-5年くらいを追いかけることで精一杯になる。それで過去の科学に目が向きづらいし。そして、科学者が増え、論文量が増え、情報量爆発と言われる時代になってからはこの種類の人が非常に多くなっているかもしれない。

水島上等兵 さんがブースト

ちょっとこれ本当に最低最悪すぎて「フェイクニュースでありますように」って祈ってしまった。あまりにも酷い。酷い。酷すぎる。「政府内において事実関係を把握する記録が見当たらな」ければそれが『真実』になるわけでしょう? てか『真実にする』わけでしょう?? 「政府内」に保管された情報が政府に都合の悪いものを除かれているなんてもう常識みたいなもんじゃん。黒塗りにするし、紛失するし、個人情報なので出せないんだよ。その上でこんなこと言うわけだ。これが隠蔽でなくてなんなの。「朝鮮人虐殺」という文言を徹底的に避ける(言わない)のも、加害の事実を力づくで透明にしていく意志を感じる。無視していけば消えるし、それが『正しい歴史』になるという自信があるんだろう。この人物の、というよりも政府の発言ではあるだろうけれど、松野官房長官が「朝鮮人虐殺」を口にしないことで透明化した数日前に、『中国からの嫌がらせ』を「極めて遺憾で憂慮している」と口にしてみせたことを重ねて考える。

tokyo-np.co.jp/article/273701

当のウクライナ(の人々になるのか?)こそが、米国を中心とした安全保障体制のみでもっていまのウクライナをまなざしてほしくないと思っているのではないか(という問いはロシアの侵略を正当化するものでは全くない)(しかしこの類の問いが「親露派」のレッテルのもとに回収されてしまう世の中の無知と息苦しさ)

水島上等兵 さんがブースト

ウィルやらハナダやらはずっとやってるけど、ここ数年は単行本で出る中韓ヘイト本は激減しているんですよ。あるいは、出されても小物でしかない。本屋店頭にも地味に並んでいるくらい(配本数が少ないから一等地にドカンと平積み!みたいなことにならない)。文春や講談社のような大手版元からも出なくなった。それがまたぶり返すんじゃないかと思います。まあ、もはや紙メディアよりもテレビやネットでの工作のほうが速くて安上がりで効果も大きい、と判断して本の世界には戻ってこないかもしれないけど。

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私の露語の先生(CIS出身、西欧在住)、日本については割とステレオタイプなオリエンタリズムみたいな理解をしている人たけど、福島の汚染水放出についてはよく知っていてとても残念だと言っていた。

言葉本来の意味を無効化したり逆手にとって捻り上げたりするような我が労働の言葉ではない、切ったら血の出る言葉を求めている…

これは西側の退廃精神を克服したように見せかけて西側に屈服して資本主義の産物を啜っている看板

水島上等兵 さんがブースト

証拠が残ってるから合意なんだとか、ほんとうに相手を尊重する気はあるんですか。無理やりアプリのチェック入れさせるやり方なんていくらでもありますよ。とにかく人権教育と性教育をちゃんとやってください。それもせずにアプリで同意とかほんとなめてんのかって思いますね。人権教育をしてくれ。

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水島上等兵 さんがブースト

あまりに何もかも違う感がすごくて開いた口が塞がらないですが、大事なのは人権教育をすることであり相手の意志を尊重することを学べば合意のなんたるかは自然にわかるはずなので、アプリで証拠を残すことを合意とするのはおかしいです。途中で「やめてくれ」ってなったらやめるのがまともな関係です。

【弁護士監修】性的同意アプリ「キロク」25日よりリリース
news.livedoor.com/article/deta

露語のレッスンで、今日は終戦記念日だという話をした。«Это хороший праздник!»と言われて、СССР出身の方とすればそうだよなぁと、世界史を考えれば普通のことかもしれないが思わず考えさせられた。自分の感覚としては、人を殺めることもなければ殺されることもなくなる(あくまで公式的には)、という意味では良い日なのかもしれないが、ここに至るまでに死ななくて良かったはずの侵略地域や日本の何千万もの人々が亡くなったことや、日本じゅう(勿論沖縄を含む)の焼け野原を思うと、хорошийという形容詞は使い難いなぁと思う。
曽祖父がビルマで亡くなったと言うと、先生はたいそう悲しそうな声色で、すぐに話題を今日の天気へと変えてくれた。

呟く場所がないと言葉が水垢のように心にこびりついて石灰化するなぁと思うなどして初投稿

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