「読書」は人権問題だと改めてこの記事を読んで思った。
地方と都会の両方に住んだことのあるわたしは、地方の読書環境がどれほど厳しいかを知っている。
わたしの故郷・九州北部の山に囲まれたの町は、わたしの住む吹田市の10倍以上の面積があるが、公立図書館は一つだけ。
中心市街地にある図書館に行くにはクルマが必要。
中心市街地からは書店がなくなった。
中心市街地から離れた、ロードサイドの書店に行くにはクルマで行かないといけない。
今の時代はネットがあるが、ネットの知識がないと、ネットで本を購入することも難しい。
国は、地方どこでも書店や図書館を整備すべきだ。
人々が教養を得ること、読書をすることはは大切な「人権」ではないか。
現実問題として、国が叫ぶ「地方創生」に、地方在住者の読書アクセスの向上は、全く含まれていない。
学歴によって、住む場所によって、お金の有無によって、読書する楽しみを奪われることがあってはいけない。
現代ビジネス
「本」を読むのは「少数派」という現実…「地方在住・低学歴・低所得層」では「本がどこで買えるか」も知らない人も
https://gendai.media/articles/-/129148
なんか、今日、ふと、田舎の人間の命も大切なんです、みたいなフレーズが降ってきた。田舎の人間の命や暮らしがこんなにもないがしろにされていることを考えていたら降ってきたフレーズだった。
『世界』5月号をようやっと読み始めて、出雲弁で書かれた藤原さんの「田舎党宣言」はとてもよかったしほんとにもっともなことが書かれていたのだけど、でも、田舎にだってこんなに文化的で、知的で、豊かな営みがあるのだ、という言い方では、そうでなければ価値がないのか、ということになってしまう気がした。そういう趣旨ではないことは重々承知なのだけど、でも、やっぱりそうなってしまうと思う。
どこに住んでいたってどんな暮らしをしていたって、たとえそこがどんなにしょうもないコミュニティだったとしても、その命も暮らしも大事で、誰かがその価値を測ることはできない。価値なんて測れないし、だいたいなんで田舎だけそんな価値測定されんといけんのんですか、あんた何様ですか、という話にひっくり返すという方向で論じなくちゃいけないんだと思う。
で、それをどうやって書いていけばいいんだろうな、と思うのだけども。
昨日、一人暮らしの話になって、妹が「総合的に無理だと判断したから、してない」って言ったから、「私もしたいけど、うつで上手くいかないかも」って話したら、「うつだからって言うのやめた方がいいよ。お姉ちゃん、最近化粧したり元気じゃん。もっと酷い人がいる」って言われて、ショックだった。そりゃ、一見すると元気そうかもしれないけど、仕事が終わればクタクタで何も出来ないしし、朝が眠気と集中力欠如の中仕事をしなくちゃいけないし、月に一度くらいはダウンするし、簡単に遊びにいけない辛さとか、諸々分かってもらえていなくて、辛かった。薬がなくちゃ普段通りに振る舞えない姿のどこが酷くないと言えるのか。甘えるなって言いたかったのかな。もう妹にうつについて、話すのはやめよう。
さきほど日本の俳優の演技の大根さについて、「全身で演技する舞台経験のなさ」が挙げられていて、そのへんは同感なんだけど、個人的には「ジャニーズ」の存在が極めて大きいと思っている。
名前も出したくないあの野郎の寵愛を受けたタレントが大量にTVに送り込まれてもっと個性に溢れていたはずの一線級の俳優がぜんぶあの野郎の趣味一色に塗り替えられたのも相当にでかいのではないだろうか。
昭和のドラマとか観てたらいわゆる「二枚目」として出てきてる俳優の顔ってもっと個性に溢れてるよ。たとえば竹脇無我なんてすんげえ男前だけどジャニーズ以降ああいう「二枚目」って消滅したでしょうTVから
アニメ、漫画、映画、KPOP、文学、読書、中国ドラマ、韓国ドラマその他雑多に日常も呟きます。政治や社会問題も。うつ状態治療中、手帳3級。アイコン、ヘッダーは公式からもらったもの、自分で撮った写真を使用。
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