#詩
私は本当のところどこへも行きたくなんかないのに遠いところへ行きたいとずっと泣いている私の存在がそのまま許される理想郷がどこかにあると愚かにもまだ夢を見ているのだろうか
葬式の花輪を贈る行為の話
謹弔花輪を近くで映した動画を見てたら、「○○?お前、誰?」ってのがいくつもあった。いやお前が誰?だよ。これ、インターネットで匿名でやる誹謗中傷を花輪に付けて物理的に見せてるんじゃん。物理化しただけじゃん。酷すぎる。これもう花輪の業者もどういう倫理観なんだ?こんな言葉を付けろなんて依頼断るべきでしょう?
以下閲覧注意だし、動画に映っていた中から解読できたものだけ訳したけど、こんなの見たら何も知らない人でも恐怖を感じるよ。
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「6人で走ってきた道に無賃乗車するな」
「○○、グループから消えろ、消えないの?消えないのかってんだよ」
「グループは6人で存在、○○はアウト」
「6人は◇◇(ファン)が守るんだよ」
「グループは永遠に6人」
「グループに○○さんなんていないけど?」
「復帰だって?○○って誰?」
「SM役員陣、しっかりしろよ!」
https://x.com/ka10na14/status/1845042465881129304?s=46&t=gFTrPPqj2zmUpZ76qJ-XIQ
葬式の花輪を贈る行為の話
他の事務所のときにも、花輪を贈るのは会社が沈黙を貫くことに対して「死んだのかと思った」という皮肉なんだって記事があったけど、や、だからって他の方法で伝えるんじゃなくそんなことすんのはどうかと思うけど、個人宛てにその人の名前書いてあるやつを公衆の面前に置くっていう。そこまでの処罰感情みたいなのがなぜたった1人の若者に向けられるのか。一昨日の時点で1000本以上が事務所の前に立ってたって情報も見た。
これは大きい権力を持つ立場に要求を伝えてるんじゃなくて、芸能人という個人の人間に対する非道な嫌がらせ・誹謗中傷までがコンテンツとして消費されてるよなと思う。特にインターネット上で。もはや内容は要求でもないし。アイドルという職業に就く人は「清廉潔白」でいてくれなきゃ嫌っていうわがままだけで暴力的な方法を使ってる。
https://s.japanese.joins.com/jarticle/318244?sectcode=700&servcode=700
葬式の花輪を贈る行為の話
本来なら亡くなった人を悼む気持ちで贈るお花を生きている人宛てに贈ることで、そう明言しなくともその人への「○ね、消えろ」と意味することになるじゃん。
ネット上の誹謗中傷ももちろん規制してほしいのと同時に、あんな花輪が目に入っただけで葬儀や死を連想させるのは当然なんだから(少なくとも韓国のお葬式に行ったことはない自分も日本に似たような花輪はあるから分かる)、なんとかやめさせられないのかな。法律まで出来なくともそもそも会社前にあんなに大量に花輪置かれたら何かしらの条例違反とかにはならんかったのか。デモトラやアドバルーンみたいなので脱退しろとか声明出してるのも見たことあるけど、それよりも悪質さのレベルが酷いと思う。
会社や大きな組織に対して待遇の改善とかを伝える動きは大事だし、いままでそう思って見てたけど。ああいう方法で脱退を求めるのとかは違うじゃん。それを何年もやってきたんじゃん。今までも散々他のアイドルでそれやられて。もうそれは消費者からの意見の範囲じゃないじゃん。どんどんエスカレートしていきそうで怖いからマジ早く対策をしてほしい。実際に間に合ってないし。
よっぽど金があって若くて健康なやつが、単にもう生きていたくないという理由で「自由意志で」自殺していくような社会だったら安楽死も安楽死かもしれない。だが実際には自殺は自分で死ぬわけじゃなく貧困と病気とで社会によって死に追い込まれて殺されているのだから、自由意志で死を選ぶなんて人類社会には早すぎて笑ってしまう。安楽死を制度化するなんて最低でも貧困と病苦を根絶してからにしろ。
尊厳死をすすめる社会は「そういう選択肢もありますよ」から「それを選ばざるを得ない」に至るまでの距離は実に短かったりするのかも、とかく日本みたいな国では。みたいなことを以前見たPLAN75でなんとなく思ってた。アマプラネトフリどっちもあるみたいだしもう一度見返そうかな。
そもそも生きたいひとの生きる権利もそうだし、先の戦争でも「生き残った人には厳しい」「死んだ人は英霊」とか今を生きている人を蔑ろにしがちな国で、死ぬことに関しての法整備はやたら前向きに動いてる感じが気持ち悪い。安楽死じゃなく尊厳死と呼ぶのもそれが尊いものというイメージ戦略なのかと思ってしまうよね。
>BT
うーん、すごいです。いろいろ目が開かれる。もやもや抱えてることをこうやってきちんと言語化することの大事さ。そしてその困難さ。ずっと考え続けてきた人ならではの言葉だと思う。立岩真也さん、お亡くなりになったのがほんとに残念すぎます。。
いちばん最後↓、胸に来ます。
「すくなくても、私には生きているということがどういうことなのか、よくわかりませんし、わからなくてよいようにも思います。そして、いのちとはなにか、その問いに答えようとする欲望が私には足りません。また、いのちとはなにかという問いに、答えがなくてもよく、一つじゃなくていいとも思っています。べつにいのちの大切さやすばらしさなどをいっしょうけんめい言わねばならないとも思いません。死ぬより生きているほうがいいだろう、というぐらいのことです。だけど、もっともらしいことを言って、他人に「死んだほうがいい」などと言っている人たちには、「それはちがう」と言ってきました。それを説明するのは私の仕事です。」
"誰だって他人から「もう死にたい」と言われたら理由を聞ききます。その理由が、なんとかなりそうなものなら、その人のために努力します。人は理由もなく、他人の「自分の決めたこと」を認めてないのです。
ならば他の自殺の場合だけでなく、高齢による病気や障害の場合も同じはずです。「もう充分に生きた」「残される家族に迷惑をかけたくない」と思い、命を絶とうと思うことはあります。その思い自体は否定しませんが、「そんなことはしなくていい」と応じていく道筋があるんだ、と思うわけです。
尊厳死・安楽死の場合は、「自己決定ならば」と理由も聞かずに死を認める。じゃあ、誰がまっさきに自己決定を迫られるか、それはやっぱり動けない人、高齢者であり、障害者なわけです。そこに問題を感じているわけです。"
立岩真也「いのちとはなにか 立岩真也さんに聞く」
http://www.arsvi.com/ts/20090078.htm
ヨーロッパとかの合法的な安楽死って、末期癌とかでもう治療の選択肢はなくて痛み止めも効かなくなって自分の意志のあるうちに、みたいな感じで意思決定プロセスもカウンセリングを重ねながら丁寧にやってたイメージがあるのだけど、日本で論じられる安楽死にしろ尊厳死にしろ意思決定の主体が本人にない感じがザ日本って感じ。
来週は整体行って、韓国映画の破墓を見に行く。
なんだこの国は。叫びたくなるな。⇒ 食費切り詰め貧血に…遺児家庭、9割超「物価上昇カバーできず」 https://mainichi.jp/articles/20241013/k00/00m/040/070000c
Twitterのトレンド
毎週土曜日にTwitterのトレンドに、安楽死を合法化してくださいってハッシュタグが広まっているんだけど、私は安楽死反対派なんだよね。私もうつが酷くて死んでしまいたいって思う時はあるよ。でも、安楽死を合法化したら、障害者とか高齢者とか社会的に弱い立場の人にその言葉を強要しそうで怖いんだよね。特に今の日本の現状を見ているとね。私も死にたいって思う時あるけど、それはうつという病気が引き起こした症状であって、意思ではないと思うんだよね。同様に、安楽死合法化して欲しい人も経済苦であったり、孤立だったり、病気による症状によるもので、意思であるとは言い切れないような気がする。だから、まずは社会保障を充実させて症状から解放することが1番の最適解だと私は思う。
アニメ、漫画、映画、KPOP、文学、読書、中国ドラマ、韓国ドラマその他雑多に日常も呟きます。政治や社会問題も。うつ状態治療中、手帳3級。アイコン、ヘッダーは公式からもらったもの、自分で撮った写真を使用。
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