今年はカレンダーは買わないな…
アメリカでユダヤ人反戦団体が、声明を出している。
ユダヤ人みんなが、パレスチナ憎しではない。
反戦平和を訴えるユダヤ人も少なくない。
わたしは、そのような人々と連帯したい。
「私たちは良心のあるすべての人々に対し、差し迫ったパレスチナ人の虐殺を止めるよう呼びかけます。 」
(機械翻訳)
https://www.jewishvoiceforpeace.org/2023/10/statement23-10-11/
『あんなに大騒ぎするから本人が気を遣ってしまって、不本意だったろうにLINE報告しなきゃいけなくなったんだ』と、心配の投稿をしたファンを責める意見を見たんだけど(普段からやたらファンにマナーを求めるアカウント)
心配しなくてもあの人は重い女が好きなんだからいいんじゃないかな…←
うちは私がクリスチャンなんだが、このたび夫と息子が洗礼を受けることになった。
息子は私についてずっと教会に行っていたので自然な流れだが(かと言ってクリスチャンを親に持つ子が全員信仰を持つかと言えばもちろんそんなことは無い。個人の自由だし)、夫は予想してなかったので驚いている。自発的に言い出したので。
で、娘はと言えば「私は神様とかはあまりピンと来ない」「逆に(逆に?)私は仏教がいいな~とかなってもいい?」と言っていた。もちろん何を信じようが信じまいが個人の自由。
けど昨日、娘「私もクリスチャンになろうかな」と言い出した。
キリスト教と言っても色々あるけれど、少なくともカルトではない正統派の流れをくむものは人の弱さにとことん寄り添う価値観・世界観だから、それが私たちにはリンクしていると思う。
うちの牧師が「牧師は強くあってはいけない。強い牧師は教会員にも強さを求めてしまうから」と言っててめちゃめちゃ分かる~となったのです。
牧師は徹頭徹尾弱さに寄り添うものなんだと。寄り添うどころかそもそも牧師含めみんな弱さを持っているんだからと。強者が牧師になってしまったら教会はヤバいと。そんなことを話してた。
本来あらゆる組織・社会がそうであってほしい。みんなが弱いままにいられる社会こそ、本当は強い。
ムッスメの動画めちゃくちゃ視聴されとるwww
目に入るすべての話題に対してTwitter上ですぐに明確に発言しなければ無関心(=悪)とみなされ、発言したらしたでいつ誤読曲解をふくむ批判が飛んでくるかわからない、しかも批判の仕方が極めて性急かつ断定的で罵りに近いものも含まれる、みたいな雰囲気にはマジで嫌気がさしている。
そういう意味で「(SNS上での)政治疲れ」はしてるし、どのSNSを使うにしろ絶対に繰り返したくない。🐘で一番気を付けようと思っている点。
これは「バズり」の問題とはちょっと違って、早く明確に対応するか否かで誠意(もっと言えば人権感覚)を問われているような感じが強くあったんだ、私はね。
アウトプットできないけど知る/考える、SNS以外で行動することも当然重要なのに、そういうものがないがしろにされてしまう。
そして、悪く言えば、SNSでコメントしたりタグを拡散していれば何かやってる気になれてしまう部分もある。
なので、Twitterなくなったら政治や社会問題への動きが絶えてしまうという危機感は、少なくとも日本語圏においては、あまりにもSNSを過大評価してないかって気もする。社会はもっと沢山のものでなりたってる。
避難用アカウント。へっぽこ不良なクリスチャン。沖縄産の夫、場面緘黙の娘、軽度知的障害の息子を愛してる。