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4回目にして2ボスまで到達した。
超高火力カードを作り、頑張ってデッキ圧縮するというInscryptionでも学んだあれをやっておる。とはいえ、せいぜい1ターン40~50ダメージじゃね? というのはある(アイアンクラッドの2面)。チャンプの「処刑」を切り抜けることはできるのか。
ボスは初めからわかっているのだから、特徴を覚えてそれに合わせてデッキ構築していきたい。

ニュースつけながらSlay the Spireやってます。

コンビニに行かない、すごく重要かつ効果的。

わたしは元来不謹慎ギャグがものすごく好きなのだが、不謹慎ギャグがどういう集団で受容されるかへの警戒がある。そこから遡って私の発話態度が決まるので。インディーズ系不謹慎でありたい。

夢: 鶏の声を聞かせるとシンバルの心が落ちるので、誤って身体に当てても痛くない。

ずーっと同じ歯ブラシを買い替えて使い続けているのだがさいきん硬く感じる。歯茎側が弱っているとかかしら。

かつて日本には、13の都市銀行があった──。(ファンタジー作品の冒頭)

ルービック・遊具 → ルービック・キューブ

>「これは接続法二式なので、この仮定は著者自身が〈事実に反するもの〉と見なしているのではないか」

爆笑。マジでリアル。最高。

今の状況で打ち出す構想としてわりと良い気がするが、こんなん他が乗るんかな。
www3.nhk.or.jp/news/html/20231

にぎわい創出の正体は、かまいたちだった──。

The Art of Computer Programmingの4Bの日本語訳が出てたか。

非アカデミアという属性で、社会の実情とか、テクニカルな実務的なこととか、経済学的な知見とか持ってます、みたいに差別化する、というのはいまも昔もありがちである(実例も思いつく)。言説的リーダーで旺盛な活動をしているひとにもそういうのがあり、それをコピーしてる節がある。そんでフツーの一般人は、忙しいとか気力低下などで出力が落ちてきたときに、おのれの属性で差別化する方向に行きがちである。そういう惨めな方向を避けなければならない。

ある規範が、publicな空間のなかでベースラインとして設定されたとき、そこに一様性が生まれてニュアンスが塗りつぶされる傾向がある。とはいえ、「ニュアンスを維持しなければ」という言説が、加害の一種の「隠れ蓑」ともなるので、それは必要なことでもある。しかしどこかでニュアンスは守られるべきである。とはいえそれはクローズドな場所でのみ存在しているだけなのではなく、そうしたベースラインの規範性とのあいだで繊細な折衝をしつつ、publicな空間の土俵の上にも出したほうがよいのであり……とかいう何重もの「とはいえ」とか「しかし」がある。

さいきん、登場人物に殊更に「ちゃん」付けするのはよくないのでは、みたいな意見を目にして、まだそこ、という感じは受けた。こういう感覚が広まるのには数年ラグがあるわけである。

そういう規範的言説が普及すると、今だったら眼差しのニュアンスを出すために、あえて「ちゃん」付けするみたいな操作が成立しているわけだが、それはよくない、という規範で一様に塗りつぶされると思える。世の中ってそういう感じである。

あと数年すると、「キャラクター」という語じたいが心あるひとのなかでは禁忌語くらいになる可能性があるが、それは行き過ぎだと考える。
で、どうすればいいかというと……人類に対してもキャラクターという語を積極的・恒常的に使えばよいのではないか。characterという語のポテンシャルを活用したい。

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