BT
これ、私もTverでLibertéのところだけ見て、びっくりしました。日本のテレビ?の実況のひとたちが、起きていることに関心がなさそうで、解説するつもりも全然ないみたいで。
舟にのった歌手がビゼーのカルメンの歌を歌い始めても、まったくそういうことを言わないし。
途中、図書館で若い男女が、題名と作家名が見えるように古今のさまざまなフランス恋愛小説(ラディゲとかエルノーとか)を手に持つという場面がでてきました。
ここは自国の文学を世界に誇るフランスが、
「あ、これは○○の××ですね」「こちらは△△だ!」みたいに、世界中でスポーツ実況っぽい解説がつけられることを想定してつくったシーンだったのではないかと想像します。
(日本の実況はまったく無反応でしたが)。
正直、さまざまな方向に向かって開かれているはずの「自由」というテーマが、結局個人的な愛のストーリーに収斂していくように見え、すごく保守的だな、という感想をもちましたが、いかんせんこの部分しか見ていないので、全体を見たらまた違う意見になるかもしれません。
(そして、この部分だけ見ても、こういうふうに批評するに足るレベルのものを日本は出すことがもはやできないので、つらい、、、となりました)。
@chaton14
私はオリンピックの試合も開会式も全く見ていないので、しゃとんさんのご説明から推測するだけですが、図書館で題名と作家名が見えるように本が映されたとしても、それはもちろんフランス語ですよね?そしてその書名はたぶん、一瞬映るだけですよね?そのフランス語を一瞬で読めて(その邦題も知っていないといけないでしょう)、さらにフランス文学に造詣が深い人を「オリンピック」の解説者に選ばなければならないわけですよね?
予め、開会式の台本でも渡されていて、どんな内容になるのか知らされていれば、その場面にはそういう人を呼ぼうと考えるかもしれませんが、たぶん内容は事前には知らされないのでは?知らされていたとしても、スポーツではなくて、フランス文化に詳しい人をオリンピックの解説者に選ぼうとするかどうか?
しかし、そもそもスポーツの祭典であるオリンピックの開会式でこんな趣向が必要なのでしょうか?スポーツ大会なのですから、開会式は選手が入場して聖火を聖火台に灯すくらいでいいような。オリンピックが商業主義になった結果なのでしょうか?
@chaton14
もうひとつ、私のオリンピック観でアップデートできていないことで、開会式がリアルな体験ではなくなったことがあります。
私は、開会式とは、会場の観客がリアルに見るもので、会場に行けなかった人がテレビで見るものだと思っていました。もちろん、開会式でなくてもスポーツ観戦は、競技場で見ると臨場感はあるけれど、細かい場面は見えなかったりして、テレビで見た方が、クローズアップで見られるというメリットがあったりします。それでも、競技場に実際に行って、目の前で繰り広げられる競技を見るのが本来の姿だと思っていました。
しかし、パリオリンピックの開会式とは、船で入場したり、その図書館の場面などはその場に居合わせることはできないわけで、開会式会場にいても、スクリーンに映る動画を見るわけですね。これは何だろう?と思いました。観客にとって、開会式の会場にいることにどんな意味があるのだろう?観劇とも違う、映画を見る体験とも違う、ある種のアトラクションのような体験なのだろうか?などと考えました。実際にその映像すら見ていないので、的外れなことを書いているかもしれませんが。