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ミンティ さんがブースト

LGBTQ(セクシュアルマイノリティ)は映画にはどれくらい描かれてきたのか? それに関心がある人にとって必見のレポート「GLAAD」による「Studio Responsibility Index」2022年版を簡単に日本語でまとめました。表象に積極的なハリウッド映画スタジオはどこなのか? 人種の割合は? 最も描かれにくいラベルは何なのか? 現在の課題は?…いろいろ見えてきます。
cinemandrake.com/glaad-2022-fi

ブロムカンプ、サイゴート観たときに、そうかこの人は「肉体」ってものを信用してないのかもしんないなと思ったのだった。そしてそれは多分、SF的なものを好む人は往々にしてそうなのかもしれない、と思う。

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身体性の作家としてのニール・ブロムカンプ 

ニール・ブロムカンプの映画において、人間の肉体はいつもやっかいな存在だ。
肉体は常に精神を邪魔する不快な存在として登場し、エイリアンに浸食されて刻々と異形の姿へ変容していったり(第九地区)、生きるために神経を機会に接続するハメになったり(エジリウム)、身体に閉じ込められてしまったり(デモニック)する。
一方『チャッピー』では肉体を捨てて機械に精神を宿すことが究極のハッピーエンドとして描かれている。肉体は自分を閉じ込める檻だという身体感が明確に表れている監督だと思う。
彼の作品は全体としてクィアな感じはしないけど、この"体に振り回される"感じは結構トランス的だなと感じる。

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『グランツーリスモ』ネタバレなし感想

ドライビングシミュレーションゲーム「グランツーリスモ」に熱中するゲーマーの青年が、現実のカーレースに挑戦する実話をもとにしたお話。
日産の描き方が企業RRと日本ステレオタイプの混在で結構ノイズだったかなぁ。でもヘンテコ日本ではなかったし、そこ以外は楽しく見れた。
ゲーム映画とカーレース映画を掛け合わせたようなレースシーンは魅力的で、特にクライマックスとなるレースは展開も映像もとても良かった。ゲーマー"なのに"強いんじゃなく、ゲーマー"だから"強いという描き方もgood。軽く見るにはいい作品だと思う。
でもこれ、監督ニール・ブロムカンプなの!?? お前はこんなもん撮ってちゃダメだろ!!!

あ、これ原作もそうなんだ(忘れてた)
ルフィさんのシャツめっちゃおしゃれ!って毎回思った。アロハシャツほしい(ほんとすぐそれ)

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原作漫画ワンピースのあまり語られてないけど実はめちゃくちゃ特徴的な部分「めちゃファッションが変わる」好きなんですよね。他にないでしょ。鳥山明作品のキャラはオフの日のおしゃれしてる気がするけどメインの冒険衣装がコロコロ変わる長編アクションまんがってマジでない。

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安易に悪と決めつけることは危険だけど、悪を悪と批判できないことも同じくらい危険だと思う。ホロコーストに加担した人間にだって家族や友人の前では「良い人」だった人は幾らでも居ただろうさ。だからといって「悪人と決めつけるのか」という言い分はおかしいんじゃないかという話。

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なんでもそうだが、「あなたはどっち派」文化がほんとうに苦手。

だめだ……なんかもう、本格的にだめ。

ツイッタは、ハッシュタグみたいになにかひとつのことに対しての意見表明をみんなで共有したり、大きなムーブメントを作り出せる仕組みがあって、それは反差別を支持する者にとって心強かったし、何よりその手軽さは自分でもなにかできるんじゃないかって背中を押してもらえる効果も大きかった

ツイッタやってなかったら、多分ここまで社会問題にコミットしていろいろ考えてこなかったし、署名活動も寄付も多分そんなにしなかったように思う(おそらくその情報にさえたどり着けなかった)
行動しようと思えるようになれたのは、ツイッタのおかけでもあるんだよ。ただそれは、「なにかできているような気がしてしまう」というのと、裏表でもあるんだよね

ツイッタで疲れるのは、流れてきたものに対して、なにかを表明しなきゃ、なにかに賛成/反対しなきゃ、みたいに焦ってしまうような気持ちになっちゃうところ
言わないけど考えてるものだってあるし、心を痛めたり、共感したり憤ったり、そのすべてをツイートする必要もないはず。でも何も言わないと、「何も言わない人」と見なされてしまいかねない不安があって。

ツイッタだけが生活じゃないし、みんなそれぞれツイッタの外に人生がある。時々それを忘れている人がいるんじゃないかって思ったりする。わたしもそれを忘れそうになるので。

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関東大震災100年なので、関東大震災時の朝鮮人虐殺発生箇所マップを紹介します。

つまずきの石 ver.2022_09_20
goo.gl/maps/CuwDCXejdaaJtXes5

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目に入るすべての話題に対してTwitter上ですぐに明確に発言しなければ無関心(=悪)とみなされ、発言したらしたでいつ誤読曲解をふくむ批判が飛んでくるかわからない、しかも批判の仕方が極めて性急かつ断定的で罵りに近いものも含まれる、みたいな雰囲気にはマジで嫌気がさしている。
そういう意味で「(SNS上での)政治疲れ」はしてるし、どのSNSを使うにしろ絶対に繰り返したくない。🐘で一番気を付けようと思っている点。

これは「バズり」の問題とはちょっと違って、早く明確に対応するか否かで誠意(もっと言えば人権感覚)を問われているような感じが強くあったんだ、私はね。
アウトプットできないけど知る/考える、SNS以外で行動することも当然重要なのに、そういうものがないがしろにされてしまう。
そして、悪く言えば、SNSでコメントしたりタグを拡散していれば何かやってる気になれてしまう部分もある。
なので、Twitterなくなったら政治や社会問題への動きが絶えてしまうという危機感は、少なくとも日本語圏においては、あまりにもSNSを過大評価してないかって気もする。社会はもっと沢山のものでなりたってる。

自死にまつわる描写があるなら先に知りたい。いきなり触れるとほんとしんどいんで

傷つきたくないし誰も傷つけたくない。だから生きてるだけでみんな人を傷つけてるとかやすやすと言わないで欲しい。死にたくなるから。

身体性とセクシュアリティを結びつけた話されるのって、内/外性器の形状が、いわゆる「標準」とみなされない人にとっても、困惑する話じゃないかなと思う。

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SNSで間違ったことを言ってはならない規範に、あまりにも強く自分を縛ってしまったら、「間違っている人を批判する」か「何も言わない」の二択になっていく。そういう反差別系のアカウントの人たち、たくさん見てきた。

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ジェンダーアイデンティティやセクシャリティが誰からもジャッジされないように

意味合いがどちらであれ、言われたらちょっと身構える言葉ではあるな……どう接したらいいかちょっと悩む……

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「ジェンダーの人」は私の知る範囲内だと2000年代後半にはフェミニズム系の主張をする人や組織に対する揶揄のニュアンスを込めて使われていて、なんとなくバックラッシュの影響かなと思っていました(その前からあったかもしれないですが)。

ただその時には「トランス」ではなくてあくまでもフェミ系を指す言葉で、それがトランスジェンダー自体を指す形でも使われるようになったのはすごく最近だという気がします。

出所がそこかどうかはわからないけれども、トランスを「ジェンダーの人」と表現するのを見聞きすると、トランス嫌悪を梃子にして感情的動員をかけた反ジェンダー運動の影響がここまで及んでいるのかと思えて、とても嫌な気持ちになります。

outdoors.lgbt/@ikeitani/110922 [参照]

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