てすとー - minamihiroharu’s diary
https://minamihiroharu.hatenablog.com/entry/2023/09/12/171552
ちゃんとリンクできるだろうか。
なぜかわからんのだけれど、「ハリヨマリ集」に大して読んだ訳でもない宮沢賢治の印象が重なる。
なぜかはわからない。
そして「んなちゃん」としか呼んでもらえないナナチw
「ハローアビス」 helloではなくHaloの方だったのね。
https://webcomicgamma.takeshobo.co.jp/_files/madeinabyss/066/
大阪IRの作品無許可利用の問題、権利者が米国市民だったら、米国企業のMGMは訴訟を懸念して「権利者の意向を無視して作品を利用」「権利者に無断で使用」なんて事はしなかったんじゃないかと思うのだが、どうなんだろうな。
日本人は訴訟慣れしてないから泣き寝入りするだろwww、とか考えたんじゃねえかなって。
欧米系企業、(負けると大損害な)訴訟や法規制にがちらつくとコンプライアンスがどうの、SGGsがどうのと言いながらしっかりやる印象があるが、絶対に訴訟されない、されても裁判では勝てると思えばどんな残酷なことでも平気でやる(それこそ暗殺でも)って印象が強いんだよなー
日本社会、企業にも独特の冷酷さがあるけど、欧米社会の冷酷さ、残忍さってまた日本とは別の独特のものがあると思うんだよな。
はてブはブサヨの巣窟とか絶対ウソだよなと言いたくなるコメ欄だったw
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASR8H6VDYR84UPQJ00W.html
BT。「否定的党派性」がソーシャルメディアで強く働くという話、ナショナリズムを筆頭に集団の結束には「敵」の設定が効果的というのは以前から言われており、それがソーシャルメディアでもそのままきれいに出るということなのだろうか。
ただ少し気になる点は、この場合「味方が好きよりも敵が嫌い」というより「敵を嫌うことで味方が生まれる」という方が近く、だとすると敵とまったく無関係に「味方が好き」というのはどういう状況なのだろうか、という点。
そもそも「好き」が集団としての「味方」を作るのかどうか、よくわからない。むしろ「好き」はかなり個別的でバラバラな動きなのではないかという気もする。
逆に、「嫌い」を通じた「味方」がうまれ、しかしその集団は比較的結束が弱い(「足を引っ張りそうな人は切り捨てる」)として、そが常に悪いことなのかもわからない。
むしろそれこそまさしく「イシューベース」での連合のあり方であって、そこで「味方」の結束を優先すること(例えば「フェミニズムに分断を持ち込むな」というような)の問題性を強く批判してきたのが、インターセクショナル・フェミニズムだったのではという気もする。
Pawooが怪しくなってきたので、避難所的にこちらにアカウントを取らせてもらいました。
PIXIVでは駄文書きをしてます。(かなり不定期に)
https://www.pixiv.net/users/2217356