表現活動やパフォーマンスもそうです。「つまらない、くだらない、大したことない」と言われるリスクを背負ってやるから人の心を打つんだと思います。「わたし、つまんないですよね。笑わなくていいですよ。つまらないんだったらそう言ってください」と言うと、相手は「そんなことないよ」と言わされたと感じます。行動の自由を奪われて操られたように感じてしまうんです。「これがわたしのベストです!見て!」と言える人が誰かの心を動かすんだと思います。
こわい。わかります。私もこわい。相手が自分のことを好きであることを確かめてから「好きです」って言いたい、と思ってしまいます。だって「えー、あなたなんかに好かれたくないよ」って言われたら傷つきますもん。
まあ大丈夫。誰でもやれたりやれなかったりすることなんだと思います。常にリスク度外視で行動できる人もいるかもしれませんが、多くの人はそうではありません。でもやっぱり勇気も大事。そして、相手に拒絶されても「大丈夫大丈夫。今回はだめだったけど、次はうまくいくかも」と思うのもとてもとても大事です。
愛の告白もそうで、「あなたなんて好きじゃないし」と言われるリスクを背負って「あなたが好き」と言うから価値があるところがあります。「わたしはあなたが好きなんで、あなたが告白してくるのを待ちます」は賢いですけど感動的ではないです。「あなたといても楽しくなかった」と言われるリスクを引き受けて「楽しかったです!」と言い切る人間が好かれることはあるから、「つまんなかったですよね」なんてリスク回避に走らずに「あなたとご飯食べられて楽しかった!」と言うのは大事だと思います。別に恋愛に限らずね。
でも、SNSでは正しくて強くて優しい完璧超人でなくては好かれないみたいな言説が流行るけど、人間は概してみんなアホだしみんなクソです。それをなんとか、少しでもいいものを外に出そうともがいている、その情けなさも決して否定されるべきものではないとも思います。
人を食事に誘うときは「暇だったら飲みませんか?笑」と書くより「よかったら飲みましょう!美味しいお店知ってるんです!」と書く方がよいでしょうし、あとで「楽しくなかったですよね、すみません」と送るより「昨日は楽しかったです」と送る方がたぶんいいです。相手が「つまんなかったな、今度は行かんとこ」と思うと勝手に予想してはいけません。
でも、こういう「明るく快活に、相手の気持ちを度外視して自分の楽しさを伝える」って、ある程度自己肯定感がないとできないんです。
根本的におかしいと思う。
■自民党総裁選
・ほとんどの国民に選挙権がない
・テレビ・新聞では、候補者の動向、発言、政策?、それに対しての識者の議論・見解まで細かく報道
■衆院選・参院選
・ほとんどの国民に選挙権がある
・テレビ・新聞では、選挙期間中候補者の名前を報じるのみ、映像も背中を映すだけ、テレビは話題にすることも避ける
・テレビ・新聞は「終わってから」発言を始める
公職選挙法他の法規制に要因の一つがあることはわかるが、自民党は完全に自分たちのプロパガンダに利用していますよね。
テレビ・新聞のこのアベコベは改善できないのか。
いいいいいよっしゃあああああああ日本来るなら絶対行く
”Oasis will tour the UK & Ireland in summer 2025!
Tickets go on sale this Saturday 31st August.
IRE 🎟️ 8am IST
UK 🎟 9am BST
Full information 👉https://OasisMusic.lnk.to/oasisinet
*These dates will be the band’s exclusive European appearances.”
味仙の本店で3500円で食べ放題を開始するらしい。
オフ会向きかも。
【愛知県名古屋のソウルフード】元祖台湾ラーメン発祥店!! | 味仙株式会社のプレスリリース
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000143432.html
名文。文学の話に帰結していくのも作家の言葉としてよい。
__
言葉を消費されて 「正義」に依存し個を捨てるリベラル 星野智幸 https://digital.asahi.com/articles/ASS8V026WS8VUPQJ006M.html?ptoken=01J689ME62SGPZQ8D95R3V46KZ
>> 個人を重視するはずのリベラル層もじつは、「正義」に依存するために個人であることを捨てている。「正義」依存の人同士で、自分たちが断罪されることのないコミュニティーを作り、排外主義的な暴力によって負った傷を癒やしている。
>>民主制とは、それぞれ考えや気分の違う者同士が、互いに耳を傾け、調整して制度を作っていく仕組みだ。政治とは、自分たちの正しさ競争ではなく、話し合いで合意するための手段である。
>>けれど現状は、政党が、そこに所属したり支持したりする人にアイデンティティーを与える集団へと変質しつつある。(中略)政党の目的である対話の場をうまく作れない。作っているように見えたとしたら、それは同じ考え方の者たちが集って共感し合う居場所であり、価値観の異なる者と制度を作るための対話の場にはなっていない。
「日比谷」を読む「鉄」の3歳さん。興味関心はときにカリキュラムを越える。
https://x.com/inu_eat_inu/status/1827521289873207767?t=q20YKvf8ftUrw3jeltuL_w&s=09
家族の体調不良が明けて、ひさびさの1日自由な日。しかし今日もそれで終わり……
「『反日』的なものは『日本』では認めない」とか、「そんなことをいう奴は『日本人』ではない」とか、なんらかの条件を満たさないと「日本」の一員であることを認めない主張をする人がいる。この人たち、江戸幕府の絵踏も同じように許容するんだろうか。同じことをやってるという自覚があるんだろうか。
高校生に「しょうがない」と言わせる、この国っていったいなんなん。本当に申し訳ない
韓国語校歌への批判に「しょうがないなと思っている」と京都国際・藤本主将 「小牧監督や応援してくれた方々に、勝つことが感謝の気持ち」/野球/デイリースポーツ online: https://www.daily.co.jp/baseball/2024/08/23/0018038578.shtml
国語教育。武蔵野大学准教授。博士(教育学)。文法教育が他領域と関連をもてていない原因を歴史的に研究しています。植民地における言語教育にも興味があります。トムヨークと佐藤天彦がすき。書き込み内容は所属組織と無関係です。