近くの学生がゼミ選びの相談と称し、教員のサイトを見て噂話をしている。学歴までチェックするんか……(震撼)
あ、でも自分にとっての進化アイテムの一つはまちがいなくこれ。これも依拠する「枠組み」としてとても助かった(これも副査の先生に教えてもらった。自分が当時読んだのはこのひとつ前の版)
EvernoteからNotionへのノート移行の過程で、2012年9月の日記が出てきた。このころは大相撲が好きで場所の観戦にも行っていた(八百長問題直後でチケットが取りやすくてよかった)。ちょうど日馬富士が横綱になった時期。
古文漢文をなんて国語科でやるの、といわれたら、きのう紹介した論文にも書かれているけど、「古典という別の時代のフレームにふれて、自分の『当たり前』のフレームを見直すことができるから」ということがあると思う。とくに古典であれば時代を隔たったテキストであるぶん、書かれた当時の「当たり前」のフレームとのずれや、それぞれの時代の解釈(注釈)にふれることもできる。それだけ「読む」という行為について考え直すチャンスが多い。
古典を「現代が受け取るべきありがたい教訓」として読むのは、さまざまな注釈を考えてきた古典読解の実態をふまえていないし、「読む」という行為を歪めることになるという指摘。
伊崎孝幸(2022)「国語教育における『論語』の教材価値について-解釈の多様性を手掛かりとして-」『教育実践学研究』27、pp.59-71
https://cir.nii.ac.jp/crid/1390573242850460928
戦争文学を読むとき、「戦争はいけないと思いました」という用意されたフレームで読むだけでは、読むのが「その教材」でなくてもよいのではないか(別の戦争教材でも同じことが教えられてしまうのでは)、という問題提起。
寺田守(2009)「戦争児童文学教材の授業の課題-「お母さんの木」(大川悦夫)の教材分析を中心に-」『国語の研究』34、大分大学国語国文学会、pp.21-30
https://cir.nii.ac.jp/crid/1010282257441463954
学生のファイルを自動リネームしたい件、コピペできる元ファイルが見つからなかったので、動画に書かれているJavascriptのコードを写経したんだけど、学籍番号の上4桁しかファイル名につかなかった。自分のテスト用ファイル(教員用アドレス)はうまくいったのに。この手の話はさっぱりわからんので、ChatGPTにコードの問題を教えてもらった。すると「@」と「0」を見間違えて書いていたっぽかった。「メールアドレスの@マークより後は削除してそれをファイル名にしろ」という指示を、「0より後は削除して……」という指示にしていたので、5桁目に0がくる学生のファイル名がおかしくなっていたのだった。なるほど~~~。
国語教育。武蔵野大学准教授。博士(教育学)。文法教育が他領域と関連をもてていない原因を歴史的に研究しています。植民地における言語教育にも興味があります。トムヨークと佐藤天彦がすき。書き込み内容は所属組織と無関係です。