昔、仕事で大手 SIer の SE と付き合ったことがあるけれど、彼らは SE という言葉本来の意味(Software Engineer)での技術者ではなく、単なる事務屋さん(書類作成者)だった。ソフトウェアについても、対象となる業務についても、薄っぺらい知識しか持っていなくて、それでもプロジェクトを管理すると言うので何をするのかと見ていると、上位の営業レベルで決定された仕様や納期を大枠として、それらしく見える機能一覧表や線表(予定表)を作って下請けに提示して、さあ、これでやって貰おうという訳だった。Excel がそこそこ使えて、大企業の看板を背景に偉そうに指図して恥じない根性があれば何とかなるという、非常につまらない仕事であると思った。
ソフトウェアについても対象となる業務の知識についても下請け会社のエンジニアの方が圧倒的に優秀だった。そういう人たちが実質的に取り仕切ることによってプロジェクトが回っていた。
20年以上も前の話だが、今も基本的に同じだろう。いや、マイナンバーのあれとかを見ていると、もっと悪くなっているような感じだ。
アルツハイマー病の原因となる「脳の廃棄物除去システムの老化」を改善する治療法が開発される - GIGAZINE
https://gigazine.net/news/20240819-restore-brain-glymphatic-system/
これは実用化されてほしい
https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-2856844.html
“「商業施設に近い場所で健全度の高いサンゴが残っており、保全する価値がある。サンゴを大切にしSDGsを推進する県が埋め立てを進めるのは信じられない」”
サンゴの状態は良好らしいです。
防波堤で海流をせき止め、その一部のみを「埋め立てない」というだけで、「自然的環境を保全する区域」と宣う欺瞞に頭が痛くなるばかりです。
周辺をバチボコに埋め立てるのに?米軍港作るのに?その軍港内で何が起きているのか、何をされているのか、日本政府が調査要求もしないからわからないだろうのに?保全?
8月10日の東京集会でも浦添西海岸埋め立てのことは言及されなかった。参加者もよく知らなかった。署名は5万筆以上集まっている。
辺野古の、高江の、泡瀬の、同じ苦しみをいつまで繰り返させるつもりだ。いつまで入植を続けるんだ。
琉球民族に先住権を返せ。自己決定権を返せ。
Keyboard warriorってなかなかイカすワードだな。まんま「表自戦士」とかに通じるものがある
https://www.bbc.com/news/articles/c5y3gre3y9yo
誰かに了承されないと首相候補にすらなれないってことは、首相になったところで実権は誰が握っているのかって話なんだけど、その「誰か」ってのが首相経験者で、退任後も副総裁だとか副総理だとか財務大臣を長年続けてきた人で、未だに国会議員であり続けているってのは、あまりにも不健全よな。しかも、その「誰か」に相談せずに行動したことが、その「誰か」の信頼を失うきっかけとなって現職の総理大臣が続投できずに内閣不信任案が可決されたわけでもないのに自ら辞職をして首相の座を退くわけだから、誰が実権を握っているのかは火を見るより明らかよね。
この「誰か」ってのの在任中の内閣支持率が一桁台だったってのを考えたら、そんなのに日本の権力をいいようにもてあそばれていて、日本の民主主義は終わってるよな。ほんま。
RT: 自民党総裁選、小林鷹之氏が19日立候補表明へ…河野太郎氏出馬を麻生氏が了承 : 読売新聞オンライン https://www.yomiuri.co.jp/politics/20240816-OYT1T50158/
岸田首相、派閥めぐって失った麻生氏の信頼 そして解散できずに退任:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASS8G3JHBS8GUTFK01SM.html
読ませる記事だった。
久保覚「中上健次は軽蔑に値する」(1982)
小学校の頃で聞いた戦争に関する加害体験の記憶(私がしていいか分からないが、私も毎年思い出すほど記憶に残ったので)
そのお話に来てくれた方が一番記憶に残ってて今も夢に見ると仰ってたのが、2名の中国人男性を上官に銃剣で刺して殺すように命令されて磔にされた同僚と2人で1人1人ずつ刺して殺した、その人達は民間人だった、という話だった。同僚が刺す方の方は泣いて必死で中国語で「何もしていない」と言っていた、と(話者の方は中国語が分かる人)。自分が刺す方の方はじっとただこちらを見て睨むわけでもなく呆然とするわけでもなく「今から自分を殺す私の顔をしっかり覚えていようとしている」と思った、と仰っていた。その後2人とも簀巻きにして川に流し、その遺体が包まれた簀巻きがぷかぷか流れていく様子が目に焼き付いていると、最後の方は涙を押し殺しているような声でお話されてたのを覚えてる。戦争体験を話す機会には必ずこれを絶対に話す、今もきっと彼は私を見ている、私のする事をじっと見ていると思ったら絶対に話さなければいけない、話さずにはいられない、と仰っていた。
私も戦争の被害体験は教科書や資料集、毎年のニュース等で観ていたが、加害体験を話す人に出会ったのは当時初めてだった。夏に限らずよく思い出す。
B787とうなりくんが好き