子供の頃の夏が涼しかったのは思い出補正かもと思って調べてみたけど、たしかに2010年くらいから最高気温35度以上になる日がぐっと増えているらしい
日本の夏は昔と比べてどれくらい暑くなったのか? 【1875年以降の気温をグラフ化してみた】 - 草の実堂
https://kusanomido.com/life/nature/45004/
銃撃当日の気持ちの記録(Xッター再掲)
「なんで今!?!?(どうせならもっと早くやれよ)」って一瞬思ってしまって次の瞬間強烈な自己嫌悪に襲われるなど 許されないよ こんな私になりたくなかった
「『テロリズムを許してはいけない』しここで死なれたら『英雄化されちゃう』から生きて」って気持ちばかりが大きいのも自分でショックです 「もちろん『誰の命も奪われてはならない』よ」って後から出てくるんです…
奴が最悪だったのはほんとのことなのにね うちらをこんな気持ちにさせるこんなことが起きる前に法で裁かれてほしかったのにね
激アツ!アナル侍おがしゃか(@gaogao3958)/2022年9月27日 - Twilog (ツイログ) https://twilog.togetter.com/gaogao3958/date-20220927
それはそうと能登半島の地震で「中国人窃盗団・バス」デマの発信源とされるどっかの地域の消防団の団長だかなんだかの人はお咎めなしですかね。どっかのインタビュー受けてたよね確か。
気をつけてはいたけどどうもここ最近イライラしていたようで、ついネトウヨオッサンの擦りに反応してしまった。
「その通り、私はサヨクだ。だから?それの何が悪い?私は信念を持って差別をするな、人権を守れ、人を殺すなと言っている。それが社会を守る概念だからだ。ではあなた方は?何の信念があって差別をしろ、人権を軽視しろ、人を殺せと声を上げるのか。アイコクホシュとやらのその信念を聞かせてもらおうか」
面と向かって言われてびっくりしてモゴモゴしながら「いや…差別はいけないし…人権もそりゃ大事だろうし…人を殺せなんて言ってはいない…」とか言い出したのででっかい声で「じゃあ私らサヨクと考えてることは同じだな!」と遮った。
黙り込んだので更に一際大きな声で「桜チャンネルなんか見てるからだ!あんなものを喜んで見てるから感覚が狂うんだ!」とたたみかけたらオロオロして「大きな声で言うなよ」とか困ってるので「好きなんだろ?あれが真実の本当のジャーナリズムなんだろ?母親にも薦めたって言ってたろ?」と叫んだ。場所は居酒屋。みんなが見てた。
恥ずかしいならガタガタ文句つけんなや。クソネトウヨが。あースッキリした。
CBSテレビの日曜朝の番組で放映された10分くらいのガザの子供達についての特集。Gazaに援助のために派遣され、米国に戻った医師の証言が凄まじい。今までに見た凄惨な災害や9.11のような大惨事などで見た全てを掛け合わせたよりもガザの方が酷い惨状だと。
イスラエルのスナイパーがわざと子供らをターゲットに胸と頭を狙って射撃しており、殺されているのはほとんど子供たちという衝撃的な証言。
このビデオはその凄惨な内容ゆえに年齢制限があるので、Youtubeにログインしないと見れません。
https://www.youtube.com/watch?v=qqusa-96WLs
8月7日まで読み放題?らしいっす。
「じゃりン子チエ」
ワイにとって大阪ってこんな感じだったのですがねえ。…
もう歴史の記録という感じすらある…
日本にいる被爆者は、被爆者健康手帳を交付されれば、健康管理手当や医療給付などが受けられる。しかし、海外の被爆者たちは違った。1965年の日韓基本条約で国交が回復すると、韓国の被爆者たちが治療を求めて日本にやって来るようになったが、日本政府は「日韓基本条約で解決済み」と手帳の交付を拒んだ。
最初に手帳交付を求めて提訴したのが、2014年に87歳で死去した韓国人被爆者の孫振斗(ソン・ジンドゥ)さんだった。
孫さんは大阪に生まれ、広島で被爆。戦後、外国人登録をしていなかったため韓国へ強制送還された。1970年に原爆症治療のため、佐賀県の漁港に密航し、逮捕される。
「広島で被爆した。治療してほしい」。勾留された警察署で、広島からやってきた記者たちに被爆体験を話した。その時の記者の1人が、元広島市長の平岡敬さん(95)だ。当時、中国新聞編集局次長。平岡さんの裏付け取材で被爆の事実が明らかになり、孫さんは手帳交付を求めて裁判を起こした。78年に最高裁で勝訴、手帳を取得した。
しかし、孫さんの勝訴で在外被爆者への援護問題が解決したわけではなかった。
▽「朝には被爆者、昼には被爆者じゃない」
日本政府は孫さんが一審で勝訴した直後の1974年、「海外に居住した場合には手当の受給権を失う」という旧厚生省局長の「402号通達」を出した。在外被爆者は手帳を取得できるようにはなったが、日本にいる間は手当が支給されるものの、海外に出れば支給がストップしてしまうことになった。
郭貴勲さんも日本で手帳を取得。しかし、取得しては韓国に帰るたびに無効となるのが繰り返された。郭さんは、こう批判していた。「日本にいる間は被爆者。朝、関西空港のゲートを出て出国し、昼に韓国に帰れば被爆者じゃなくなる。こんなおかしいことがありますか」
また、こう指摘していた。「せめて日本にいる被爆者と同じ扱いにしてほしい」。郭さんにとって日本人被爆者と同等の権利を求めた訴えは、最低限のものだった。こうも話している。「韓国人被爆者は強制連行され、被爆し、放置されるという三重の苦しみを受けた。しかし、日本政府は援護法を適用してくれない。根本には韓国人を差別する日本人の偏見がある」
#あなたがときめく4文字教えて下さい
国際空港 かな。
成田はいつ行っても楽しい。
B787 も4文字だからいいか!
B787とうなりくんが好き