《エドモンダンテスが苦労して牢獄の壁掘り抜いたら、外ではなくお隣のお部屋へ出てしまった。でもやらないよりはマシだったと考えるようなものです。可能性あれば賭けてみて、こけたならそれまで…》
https://twitter.com/Doranekodo/status/1782485279850504270
う〜む、とりあえず無難を選ぶのも人間というものだが…、つまりは賭けか。
その漫画を見たのは学齢前。ひらがなは読めたが、漢字はまだ読めなかったはず。
それが『モンテ・クリスト伯』と気づいたのは、中学時代、学校の図書館から借りた要約本を読んで。小学校時代の6年をはさんで、そんなにも長く記憶に残っていたのは何故か。作者の挫折に自分の感性が反応したからだろう。
今にして思えば、あれは予言的体験だったか。
何ごともやり遂げられず、挫折、放棄、諦めといった形で終わる。おまえの人生はその繰り返しだよ、といったような。
幼時にして備わっていた挫折体質。そんな体質が、あることで訪れたある理髪店の二階のひと間でひとり過ごす間に、低い棚からみつけて読んだ漫画に感応したのだろう。
自分の記憶にある最初の漫画は、『モンテ・クリスト』を脚色しようとしたか、あるいは下敷きにした別物。最後のコマで、作者が両手で頭をかきむしり、「行き詰まった」といった意味のことを言って、連載の中止を宣言している。原作に即して言えば、まだエドモン・ダンテスがシャトー・ディフの牢にいる段階なのに、早々に先行きを見限られた残念な作品。
もしかすると、この漫画は最初の漫画体験というにとどまらず、記憶に残った最初の読書体験だったのかもしれない。
同じころ、身辺に子供向けの絵本が1、2冊あったような気がしないでもないが、そちらは記憶がおぼろ。色の付いた本があったようなという記憶にとどまる。それなのに、子供には意味の取りにくそうな、しかもよそで一度見ただけの漫画が記憶に残ったことをどう考えるか。
#モンテクリスト #壁抜け男