アポリネールの「オノレ・シュブラックの失踪」を読んで、人間が壁に溶け込む? そんなことがあるものか――と怒りだす人は少ないだろう。マルセル・エイメの「壁抜け男」を読んで、そんな馬鹿な!――と驚く人もまれだろう。
どちらもお話としてはあり。
問題は、人が壁を通り抜けるというようなことは、誰でも考えつくことなのか。

もし誰もが考えつくことなら、世にはもっとたくさん、もっと多様な壁抜け譚があっていいのではないか。たとえば推理小説における密室物のように。
事実は逆で、壁抜け譚は文芸の希少例。むしろ、かつてどこかで誰かが一度だけ考えついたことが、ときおり再浮上してくるだけではないか。

そんなことを思ったのは、去年のはじめころ、安岡章太郎の小説『私説聊齋志異』を読んで、清の時代に編まれた怪異集『聊齋志異』に壁抜けの話があるのを知ってから。
壁抜け譚は中国で生まれたのではないか。――当アカウント「壁抜随筆」は、その仮説を出発点として、ただし気ままに脱線しつつ考えてみようとするものです。

壁抜け男のことは誰もおぼえてない。
地味なやつだったから。
まったく無名の人物だったが、名はデュチュール。無名でも、名前はあった。
捕らえどころのない幽霊みたいな存在。それゆえの壁抜け男。

ある晩、デュチュールが自分のアパートの玄関にたどりつく。
独身者用の小さなアパート。四階建て。
不意の停電。闇の中でしばらく手探りをつづけるデュチュール。
そして点灯。気がつくと自分は四階の踊り場にいる。
何が起きたのか。
玄関のドアには鍵がかかっていて、通り抜けられないはずなのに。
自分の発見。壁に妨げられないわたし。

鼻眼鏡をかけた登記庁の三級役人で、名はデュチュール。
わたしがこれからも無事でありますように。

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