不思議で不思議で仕方ないこと。
その一つは、旧Twitterで定期的に話題になる、
「大阪人にとってはお好み焼きはおかず」ってやつ。
私は大阪出身で、親も大阪出身。母方は祖父母もその前もいつからか知らないけど大阪人。
でもお好み焼きはおかずじゃなかった。週末のおやつみたいなお昼ご飯。おかずじゃないので、絶対にお米と一緒に食べるなんてあり得なかった。
ちなみに船場系の祖母がお好み焼き食べてるのは見た覚えがない。
Blueskyで、韓国映画の『Hunt』が面白かった!というポストを見て、トレイラーをみたら面白そうだった。
ので、こっちではどうなってるかな?と思ってググったらYouTubeやAmazonプライムでの配信があった。
そこでもう一度トレイラーをみたら、ややこしい説明抜きの迫力ある映像がビシッと編集されていて、これこれ、映画のトレイラーとはこれやで!「映像」を活かしてこそ!と思った。
古くは構造改革に始まって最近ではジェンダー平等って言葉がその典型だが、様々な事柄が海外から日本に入ってくる際に、「輸入業者」の思惑が働いて、本来の意味が変質するようなことが昔から多い。ここ最近ではジェンダー関連に関しそういうことが多すぎる。
昨日かな、TwitterのタイムラインにNHKの朝の番組で取り扱ったらしいFemtechの話が流れてきて、椅子から転げ落ちそうになったけど、Femtechというのは女性特有に起きる様々な事柄に対する健康管理における最新テクノロジーの話が中心なのであって、なんで自慰グッズやら体位の話とかになってんのよと。明らかに「輸入業者」におかしなのが紛れ込んでるだろ?
これは包摂的性教育でもそう。ユネスコの包摂的性教育って、本来は児童婚を防ぐ、または望まない性行為を抑止するという視点が中心の、社会構造的に弱者になる人たちのリプロダクティブ・ヘルス/ライツを学ぶことなんであって、今日本でやろうとしていることはネオリベが「善きこと」という仮面を被って、身体商品化を促進しているに過ぎない。保守は保守で自分らが信じる妄想的な性教育を教育現場に押し付けようとし、左派は左派でこんなことやってる。どっちも狂ってるとしか言いようがない。
今度、NHKがEテレで松本人志を使って性に関する番組をやると聞いたけど、今回のNHKによるFemtechの扱い見てるとわかるように、逆に疑問は起きないよね。同じ理屈でやってるんだから。左派と自称するならば、自己決定権自家中毒から冷めてくれないもんかねと思う。現場を見ろよ、労働の現場を。布団から出て、労働によって湧き出す汗を、人がぎりぎりで生きている生活の現場で流れる血や涙を、もうちょい自分のこととして感じてくれないもんかね、と思う。左派を名乗るならね。下手したら、右派と称している方が、表向きだけとはいえ、そこに歩み寄ろうする気配は見せてるよ。学者、法曹、文化人。そして政治家。ほんと、しっかりしてくれよと思う。
サントリーは不買してるし、マクドナルドとスタバもできるだけ避けたいなと思うようになったし、よしもとがアレなのでお笑いも見る気分じゃなくなってきたし、あれ以来山下達郎のSUNDAY SONGBOOKも聴く気になれなくなった(再発レコードはあの件の前に予約してたので買ってしまった笑)。
そういうのをポロっとこぼすと「やせ我慢すんなよ、お前ひとり不買したって何も変わらないよ(笑)」と言われるのだけど、良いんだよ。私には私の判断基準があって、出来るだけ嫌だなと思うことに加担したくないだけなんだ。突き詰めていくととても生きづらくなるんだけど、遠くのことも私の暮らしと地続きなんだという意識は無くしたくないし少しでも自分ごとで考えたいよなあ。
結局は自己満足なんだろうけどもね。
俺は小沢一郎という政治家は好きではないけど、だからと言って、西松事件で小沢を失脚させたこと、そしてそれに当時の民主党中枢が異を唱えなかったことは痛恨だったと今でも思う。その後の流れを見ると尚更にね。あれで二階や石原がつぶれるというならわかるよ。小沢はほとんど関係ない話なんだから。無茶苦茶だよ
いつの時代でも検察を使って権力を動かそうとすると碌な事が起きない。民主党の連中が、政治的に小沢を潰そうと思うなら堂々と政権取らせて政権を回させてみて、結果を取らせて真正面から対峙して潰せば良かった、それだけの事だった。
あそこで生まれた歪みが今の凄惨な政治状況を作っている事、忘れちゃいけないと思う
Voyageur dans l’espace, dans le temps et aussi dans les pensées