うちのアスランとゼノス
まず私自身とアスランの考え方や価値観は基本的には別であるていでRPGしていることを前提に置きたいんだけど、ラストをやった時期は同時に「果たしてコイツ(アスラン)は戦うことが好きなのか?ゼノスを相手にすることをどう考えてるのか」ということを設定としてどうまとめるか、暁月を通じて考えてた時でもありました。
ただ、これはあくまで私が考えて楽しいってだけのものだし、別にふわふわしてた状態でも何も問題ないものだったんですよね。
そしてそんなふわっとした状態で暁月のシナリオを英雄として進行させていき、最後のあの選択肢は公式の遊び心だと初見の時点で感じて「うわー!やられた!最高じゃん」となった場面なので、今でもよく覚えてます。(当時のふせったーにも「RPGとして進めてたら公式からプレイヤーにメッセきて滾った」みたいに書いたりした)
うちのアスランとゼノス3
前述の通り私はキャラと自分を分断して妄想を膨らませていましたが、妄想が追いつかない部分はあえて自分の実体験を作品に変換して落とし込んでも別にいいかもなと、都合よく自分の感覚を利用することにしました。
私は漆黒5.2頃にメインに追いつき、共鳴でゴリゴリに緩和された零式を経験し、それでも難しいと感じました。けどその反省を活かし猛特訓して再生編で零式をパッチ内クリアしました。その体験で自信ついて、初絶で絶アレキに飛び込んでクリアするって流れで高難易度にのめり込んでいった経緯があるんですが、そのへんの「皆で戦うことの楽しさ、高難易度を緩和なしの自分の最高パフォーマンスでクリアする達成感」に魅せられているという一面を部分的にアスランにも投影してしまおうと思いました。
そんな考えが、「漆黒が終わった頃から・・・戦って汗を流し、その瞬間で人生を燃やすんじゃないかってくらいの戦いに焦がれている「冒険(アドベンチャー)を求める自分」が心の片隅にいることに気づき始めた」って感じの設定に落ち着いています。このへんは自機Wikiにもメモってあるので興味あれば見てください。
そうなると一気にいろんな設定が固まって、どんどんキャラに深みが出てきた気がして楽しくなりました。
うちのアスランとゼノス5
だけどゼノスはそれを見破った。
そんな感じで、長々と語りましたがゼノスは紅蓮で初めてボロクソに負かされて挫折を味わされた相手であり、けどそれを克服して倒した。更にそんな彼からの再戦の申し込みがあり、その際に凄い煽りを持って来られたわけで・・・アスランにとって「そんな話一度も他人にしたことないのになんで俺の考えを読んだ?」って感じだったと思うのです。
同時に思ったと思うんです。今までは暁があまり触れる機会がない戦闘を楽しむ冒険者としての苛烈な一面を隠すべきものと漠然と感じていましたが、程度はあれ冒険者なら「戦いを楽しむこと」自体は決しておかしくはない感情だと、ある意味開き直った瞬間です。
だからこそ、「ふーん、やるじゃん・・・そうか、それほどまでに俺と戦いたいなら、こっちもお望み通りちゃんと向き合ってやるよ」みたいな感じで思って、それ故にあの時の不敵な笑みを浮かべ、世界とか仲間とか未来とか関係なくただその場の瞬間だけの、自分の力を試す純粋な「戦い」に興じていたらいいなと、暁・冒険・戦うこと、という3つの存在に対するキャラ心理が纏まった今だとそう思います。
うちのアスランとゼノス4
初期衝動としてアスランはこの世界の新しい景色や人々に出会うのが好きだからみんなを守るため渦中にいるんですが、英雄という呼び名がそこそこ定着してしまった時期を同じくして、彼も大分ハイエンドな戦いに慣れて来ていて、あろうことかそれを楽しむ余裕すら出て来ているくらい強くなっていた…けどそんな自分を皆が見たらどう思うか?好意を向けている人達はどう感じるだろうか?野蛮に思われて距離を置かれたりしないだろうか、大切なものが増えた故の遠慮というか、英雄として暁に見せている自分と冒険者としての自分の二面性がいつの間にか出来てしまっていて、彼はそれに目を背け考えないようにして暁月の期間を過ごしていたんです。