ふと、以前『両京十五日』での鄭和評「その人となりは忠直耿介」に触発されて書いていた「鄭和「忠直」考(初稿)」を読み直していて今更気づいたんですけど、『両京十五日』を経由すれば朱瞻基自身の経験として、鄭和に「汝は忠直」と呼びかけることができるのでは…?
史書(明実録とか)を読む限りだと、私はどうしても「朱瞻基、祖父に向けられた忠直を横取りしてねーか…?」という気持ちになってしまって微妙なのだけど(求めるものはほぼ常に得られる生まれながらのお坊ちゃんが割と自分に都合のいい時だけ手のひらクル〜してる感じがある)、『両京十五日』が間にはさまるなら全然そんなことないですね。実際身をもって鄭和の「忠直」を経験してるものね、朱瞻基。馬伯庸天才か…
(まあ、『両京十五日』の鄭和さんの役どころは「いられると主人公が活躍できないから消えてもらう、本来その事件に関する責任と権限を持った大物」以上ではないので、そこは話の本筋では全くないです)
#鄭和さんの話
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