脱稿した!
6/30に新刊あります🙌
こんなマレレオ、こんな距離感、こんな関係性あったらいいな〜!を詰め込みました👍
通販はイベント後からになります。
スペース:東5‐東と22aサークル名「shihen」
サンプル:
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=22330453
パース旅行記(2024.01)
note.com/72tone/n/n37...
メモをたらたら垂れ流していたらほんの3万字になってしまっていた旅行記です……🇦🇺
長いので気軽に読んで!と言いづらいんですが、夜長のお供に休み休み読んで頂けたら嬉しいです。
#旅行記 #note
パース旅行記(2024.01)|夏山栞
大塚製薬のプロモにコミケ準備会が協力。そういうご縁から…!泣けてきてしまった コミケに関する各々の物語というもの物語に弱い…
というか「その日」のために準備する、奔走するっていうものが好き
https://x.com/comiketofficial/status/1857257794690588762?s=61&t=4w5gTnaRQlb_15pJ9zyhHg
「学歴の高い人たち同士でルールを作って回す」の問題点としては「一定以上の知的レベルの人しか理解できない」が思い浮かぶけれど、私は「一定以上の心身のスタミナがある人しか適応できない」も相当深刻だと思っている。
福祉や支援の話で「当事者は努力したか」がやたら取り沙汰されるのは「条件さえ揃えば人は皆努力する」が前提にあるからだろう。
高学歴の人は努力家だ。
それは否定しない。
けれど、世の中には努力できない人が相当数いる。
努力しても人並みでいるのが精一杯の人も、人並みにすらなれない人も相当数いる。
そして、そう指摘した時に「障害がある人はそうなりがちだね」と返されるくらいに「健常者なら努力できるし努力すれば結果を出せる」という認識は社会に蔓延している。
学歴の高い人たちがルールを作る時、無邪気に「努力した人が報われるように」と設定されると永劫浮かび上がれない人がいる。
浮かび上がれないどころか「努力しない人への当然の報い」とされてしまう。
私が「努力した/してない」を俎上に上げたくない理由はここにある。
努力が基準に語られる時に、溢れ落ちるものをこそ問いたい。
実家独居親用見守りサービスのパンフ何種か申し込んだー。
年末帰るからなんか入れたい。ウェブカメラ常時繋いどけばいい説もある。
二次創作してます。 twst🐉🦁等
活動まとめ https://lit.link/shihen