"力の不均衡の中で見過ごされがちなマイノリティーの声を、マイノリティー自ら届けようとしたとき、マジョリティーが不快にならないよう気を遣えというのだろうか。"!
この記事は関東大震災後の朝鮮人虐殺の話だけど、マイノリティーに関するあらゆることにおいて、こういう空気がどんどん濃くなってきている感じがしてる。
朝鮮人虐殺 史実を認めない意味 | | 安田菜津紀 | 毎日新聞「政治プレミア」 mainichi.jp/premier/politics/a

僕はどうしたってマイノリティー的側面が多くの人より大きいから、人権意識や遵法意識が強い社会でないと活きていくのが大変で、それはこれから高齢者になっていくにつれてよりそういうことになっていくのだろうと思う。
そう考えた時に、今の日本や東京が、そういう社会なのか、あるいはそういう社会の実現に向けて十分に努力しているかというと、残念ながら甚だ疑わしいと思うことが少なくない。
次の世代に同じ思いをさせたくないから、僕も元気なうちはそういう社会に向かうためになにかしたいと思い続けているけれど、自分の暮らしを守れないとそういうこともできないわけで、どこかであきらめて移住先を探すことになるのかなあと考えることが最近は増えてきた。

フォロー

本当は人権がどうこうとか考えなくても暮らせれば良いのに、とちょっと前までは思ってたけど、考えなくても良くなった人たちが増えすぎた結果が今なのだろうという気がするから、人権について考えなくても幸せに暮らせる社会ではなくて、人権について常に考え続けるような社会を目指さないといけないのだろうという気がしてる。

ログインして会話に参加
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。