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トランスジェンダーへの「素朴な疑問」 背景にある権力の勾配:朝日新聞デジタル
https://twitter.com/h_hyonee/status/1679999492437983232?t=6jQax1MH8sZ-XVmt6nB5Dg&s=19
こんな書きぶりですよ「牛二匹。腐れた藁わら屋根。レモンの丘。」「こんな長閑な住居にいる人達が、どうして私の事を、馬の骨だの牛の骨だのなんかと言うのだろうか、沈黙って砂埃のしている縁側に腰をかけていると、あの男のお母さんなのだろう、煤けて背骨のない藁人形のようなお婆さんが、鶏を追いながら裏の方から出て来た。」
「こんな煤けたレモンの山裾に、数万円の財産をお守りして、その日その日の食うものもケンヤクしている百姓生活。あんまり人情がないと思ったのか、あのひとのお父さんは、今日は祭だから、飯でも食べて行けと云った。女は年を取ると、どうして邪ケンになるものだろう。お婆さんはツンとして腰に繩帯を巻いた姿で、牛小屋にはいって行った。真黒いコンニャクの煮〆にしめと、油揚げ、里芋、雑魚の煮つけ、これだけが祭の御馳走である。」
尾道(ずっと岡山県だと思ってた。倉敷とセットでアピールされてる感じだったから)のSAかなんかに林芙美子の銅像があったの見たことあるが、尾道とか瀬戸内のその辺て、つまり芙美子捨てた「島の男」の地元なのにいけしゃあしゃあと建てるかなと思った。10代を過ごした場所で芙美子も懐かしさはあったみたいだけど、成功してから行ってたらかなりあてつけだよねー。
All theThings she saidは今聴き直すとまんまこのさえぼう先生の記事の指摘するお約束を踏襲した百合営業なんだよな…当時はヴァージン・スーサイズばりの思春期の悲劇的に聴いてたが
https://wezz-y.com/archives/70347
当時大衆の支持絶大な吉屋信子とは仲良くしていたのは信子が「女は優しくありあわなくては」という原始フェミニズムを実践していたからだろうか。信子は芙美子が自分のお嬢さんいい子ちゃんキャラを妬み世間知らずと見くびってもいたのも見通していたし(宇野千代にも吉屋さんは恋愛のドロドロはわかってないよねーと言われてもいた)、芙美子がこの国好みの渋い純文学作家として自分より永く公正に評価され続けることもわかっていたから、女流作家伝にもちくちく芙美子の嫌われるところを挙げてるんだけど、それ以上に芙美子の悪評に同情もしていたし、早すぎる燃え尽き死を悼む気持ちがあった。自分と宇野千代と対談した直後に死なれた衝撃も大きかったんだろうな。
100分de 名著今月の録画したっけかー?(先月は休んだ)でも見るか迷う、放浪記(テキスト)好きすぎるので。
森光子の舞台は見たことないです。同僚があれだけ伝説の舞台だから行ってみない?と誘ってきて(職場は帝劇もすぐ近かった)取れたら行くと返事したものの値段調べたら予想の倍くらいしたのでウワーとなってたら取れなくて密かに胸を撫で下ろした。ああいう大御所の座長公演的なの行ったことなかったので相場全然知らんかったし放浪記って宙づりとか爆発とか摩天楼のセットとか舞台いっぱいの舞踊とか生オーケストラとか無いし海外のスター客演も構造上あり得ないのに何がそんなにかかるの?セット、カフェーと茶の間しか無くないか?うん、ギャラですよね…その同僚は他にも美輪明宏様の公演にも誘われましたがそれは流石に辞退しました。あの方ちょっとこわいから。
解説柚木麻子さんだったので安心して観られた。そう、芙美子は自力で(休みに女工やったりして)相対的に高学歴(今だと短大卒位?)だけど都会に実家も身内もない非正規労働者だったし、同性にも馴れ合おうとせず自分のやりたいことに突貫する女だった
北村紗衣先生の提示された「完璧な映画」ストーリーキャスティング演技演出全てに隙がない作品ということなんだろうと思うが私はどっかアンバランスだったりイージーだったり綻びてる映画の方が好きだから(疲れないので)思いつかない…私にとってはブルース・ブラザースはperfect peaceだけど専門家からはどうなんだろう?
本と漫画と落語とおいしいものと睡眠が好き。
呼称はラッキー嬢ちゃんないしデ・ラッキーです。略してラキ。