BT 最近は「戸籍上割り当てられた性に悩まぬ/無自覚」で生きてきたシスであろうことと、そこから社会のマジョリティが要求してくる雑な二分論に基づくジェンダーを受け入れるのに苦痛があるかどうか(ここはフェミニズムであり、ダイバーシティであり、そこを拒絶しきって個人の個別性を求めるのはつまりアナキズムではないかとも思う)と、セクシュアリティがどうかはそれぞれ別個であるという思考になってきた。連関するものでもあるからめんどくさくもあるが、その面倒を放棄して反動主義が唱える「生物学的二元論」にはもう戻れない。それは便宜上の両断で生物はもっと曖昧だと知ってしまったから。