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数年前に戦隊の録画は切り上げていたが子がアマプラで配信するのを見つけてみているキングオージャーというのの多分ヴィランのモブで特攻服で片肌脱いで乳房をかなり露出した女性がいた。ニチアサにその絵はどうなんだ…

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トランスジェンダーへの「素朴な疑問」 背景にある権力の勾配:朝日新聞デジタル
twitter.com/h_hyonee/status/16

レイ・ブラッドベリの短編で南米のどこかの街でさほど裕福でない青年の一団が一着の真っ白なスーツを代わる代わる着て恋を叶えたり夢が叶ったりするかわいらしいメルヘンがあった気がするんだけどどの文庫だったか思い出せない…まだ実家にあるかな

昔は甘くて種出す手間がないから種無しぶどう好きだったんだけど最近は大きいぶどうの方が酸味もあってそっちのが好き。推しはブラックビートです。

こんな書きぶりですよ「牛二匹。腐れた藁わら屋根。レモンの丘。」「こんな長閑な住居にいる人達が、どうして私の事を、馬の骨だの牛の骨だのなんかと言うのだろうか、沈黙って砂埃のしている縁側に腰をかけていると、あの男のお母さんなのだろう、煤けて背骨のない藁人形のようなお婆さんが、鶏を追いながら裏の方から出て来た。」
「こんな煤けたレモンの山裾に、数万円の財産をお守りして、その日その日の食うものもケンヤクしている百姓生活。あんまり人情がないと思ったのか、あのひとのお父さんは、今日は祭だから、飯でも食べて行けと云った。女は年を取ると、どうして邪ケンになるものだろう。お婆さんはツンとして腰に繩帯を巻いた姿で、牛小屋にはいって行った。真黒いコンニャクの煮〆にしめと、油揚げ、里芋、雑魚の煮つけ、これだけが祭の御馳走である。」

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尾道(ずっと岡山県だと思ってた。倉敷とセットでアピールされてる感じだったから)のSAかなんかに林芙美子の銅像があったの見たことあるが、尾道とか瀬戸内のその辺て、つまり芙美子捨てた「島の男」の地元なのにいけしゃあしゃあと建てるかなと思った。10代を過ごした場所で芙美子も懐かしさはあったみたいだけど、成功してから行ってたらかなりあてつけだよねー。

100分de名著でシスタフッドの例に時ちゃんとベニあげるのわかるぅー!
しかし一時全然読まれてなかったのか放浪記…私もCREAの大月隆寛?の紹介がすごく面白かったので読み出してハマったんで、今回の100分プレゼンで読む人増えるといいなー

村上春樹のボストンでの講演か何かについてのnoteは読まないどこう…彼の偏りは作品でもうわかっているし、私はそこを呑み込んで彼の音楽や料理の好み、クソ男の描き方、都市へのアンビバレントな愛、フィッツジェラルドへの愛を好きなんだから

All theThings she saidは今聴き直すとまんまこのさえぼう先生の記事の指摘するお約束を踏襲した百合営業なんだよな…当時はヴァージン・スーサイズばりの思春期の悲劇的に聴いてたが
wezz-y.com/archives/70347

電話帳と百科事典と広辞苑が部厚さの比喩に使えなくなった今、何を喩えに使えばいいんだ?ハニトーか?インパクトないわー
六法はマイナーだしね…

BT 最近は「戸籍上割り当てられた性に悩まぬ/無自覚」で生きてきたシスであろうことと、そこから社会のマジョリティが要求してくる雑な二分論に基づくジェンダーを受け入れるのに苦痛があるかどうか(ここはフェミニズムであり、ダイバーシティであり、そこを拒絶しきって個人の個別性を求めるのはつまりアナキズムではないかとも思う)と、セクシュアリティがどうかはそれぞれ別個であるという思考になってきた。連関するものでもあるからめんどくさくもあるが、その面倒を放棄して反動主義が唱える「生物学的二元論」にはもう戻れない。それは便宜上の両断で生物はもっと曖昧だと知ってしまったから。

芙美子はメンタルは健康過ぎるほどだったと思う。あの時代に文章書けてもの言える頭を持ってつけこまれる形の破綻をしていたら「屋根裏の狂女」で押し込められるもんな。岡本かの子は兄や反省した夫の過剰な保護という幸運で守られたし、宇野千代は異性愛規範と男からの搾取には応えていたから許された。吉屋信子もクソミソジニストにもいちいち抗わないサバイバル手段はとっていた。

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当時大衆の支持絶大な吉屋信子とは仲良くしていたのは信子が「女は優しくありあわなくては」という原始フェミニズムを実践していたからだろうか。信子は芙美子が自分のお嬢さんいい子ちゃんキャラを妬み世間知らずと見くびってもいたのも見通していたし(宇野千代にも吉屋さんは恋愛のドロドロはわかってないよねーと言われてもいた)、芙美子がこの国好みの渋い純文学作家として自分より永く公正に評価され続けることもわかっていたから、女流作家伝にもちくちく芙美子の嫌われるところを挙げてるんだけど、それ以上に芙美子の悪評に同情もしていたし、早すぎる燃え尽き死を悼む気持ちがあった。自分と宇野千代と対談した直後に死なれた衝撃も大きかったんだろうな。

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100分de 名著今月の録画したっけかー?(先月は休んだ)でも見るか迷う、放浪記(テキスト)好きすぎるので。
森光子の舞台は見たことないです。同僚があれだけ伝説の舞台だから行ってみない?と誘ってきて(職場は帝劇もすぐ近かった)取れたら行くと返事したものの値段調べたら予想の倍くらいしたのでウワーとなってたら取れなくて密かに胸を撫で下ろした。ああいう大御所の座長公演的なの行ったことなかったので相場全然知らんかったし放浪記って宙づりとか爆発とか摩天楼のセットとか舞台いっぱいの舞踊とか生オーケストラとか無いし海外のスター客演も構造上あり得ないのに何がそんなにかかるの?セット、カフェーと茶の間しか無くないか?うん、ギャラですよね…その同僚は他にも美輪明宏様の公演にも誘われましたがそれは流石に辞退しました。あの方ちょっとこわいから。

解説柚木麻子さんだったので安心して観られた。そう、芙美子は自力で(休みに女工やったりして)相対的に高学歴(今だと短大卒位?)だけど都会に実家も身内もない非正規労働者だったし、同性にも馴れ合おうとせず自分のやりたいことに突貫する女だった

完璧主義の監督のこだわりがみちみちに詰まっているのが伝わる=パーフェクト、でもないか。緩急も大事だ。そうすると
ベルリン・天使の詩
バグダッド・カフェ
覇王別姫
グロリア(カサヴェテスの)
タクシー・ドライバー
あたり?

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印象として隙がないと思ったのは
時計仕掛けのオレンジ
ソーシャル・ネットワーク
マルサの女
七人の侍
Tinker, Taylor, Soldier, Spy(邦題いつも忘れる)
かなあ

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北村紗衣先生の提示された「完璧な映画」ストーリーキャスティング演技演出全てに隙がない作品ということなんだろうと思うが私はどっかアンバランスだったりイージーだったり綻びてる映画の方が好きだから(疲れないので)思いつかない…私にとってはブルース・ブラザースはperfect peaceだけど専門家からはどうなんだろう?

キャサリン・マンスフィールド短編集『郊外のフェアリーテール』(亜紀書房)
大昔文庫版(新潮?岩波?)でマンスフィールド短編集読んだときこの人清少納言だなと、瞬景の達人と思った。ウルフがマンスフィールドに反撥したのも紫式部VS清少納言み感じる。

BT Vtuberとか加工しまくってる写真もそうかもなあ。もう現実の肉体の先に自認がフローティングしている気もする。デカ目加工写真は段々メンフクロウの赤ちゃんみたいになるの怖いけど…

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