妻から、中国語を学ぶように、圧力をかけられた。妻は娘と話す時、中国語のみで会話をするようになった。
何度も耳にする言い回しは理解できている。文法も、他の言語と比較して単純なので文章を組み立てることもできる。問題は、会話での発音だ。四声が思うようにはできていない。娘にも笑われる始末。英語と同様、集中して取り組む期間が必要なのだろう。
ドイツ語に関しては、普段から使うことが全くない。が、哲学や芸術を理解する上で、原典にあたる時、読む力はもっていたい。ドイツ語なまりの英語を聞いた時、あまりものアクセントの違いに、ドイツ人だと分かるくらい癖の強い発音をするが、それが何だか刺激的で良い。
英語に関しては、普段から使う、というか、使わないと作業が進まない。相手に伝えるために説明図を駆使し、論文での図の参照のように番号や記号を厳密に振っている。
それを見た友人が「何か芸術作品を見ているようだ」と言ってくれるほど。説明図作成は、身体で覚えたことなので、なかなか忘れない。いろいろな国の人に説明してきたので、それなりの自信もある。「百聞は一見に如かず」は至言ということを何度も経験した。
実際にモノが出来上がっている様子を見せるには、画像なり、動画なりを作成する技術が必要となるが、前職で何度も何度も腐るほどやってきた。それ専用の自作ツールも数多く作成している。経験も資産もある状態なのが心強い。