星元さんは地蔵行平という刀剣男士の役で、これまでジェンダーレス男子と紹介されていました。
映画刀剣乱舞にはトランスジェンダー男性の俳優、中山咲月さんも酒呑童子役で出演。
https://www.cosmopolitan.com/jp/entertainment/movies/a43344816/interview-with-satsuki-nakayama/
関東大震災時に朝鮮人をかくまった大川常吉鶴見警察署長のエピソードを強調したくなる気持ちはわからんでもないが、藤岡信勝・自由主義史観研究会の『教科書が教えない歴史』(産経新聞ニュースサービス、1996年)にも「勇気と友情の物語」章に登場するのはなんでかなと考えたほうがいいのでは。「国民の物語」的美談として称揚されることで、官憲の煽動・誘導に端を発する自警団の朝鮮人・中国人虐殺が後景化されるなら本末転倒ではないか。
神奈川新聞の記事では「当時の日本人にとって、朝鮮人は植民地からやってきた「二等国民」だった。日本人と同等に扱うべき存在と考えることができたのは、少数だった。警察官が住民を守るという当たり前のことが美談としてたたえられる社会状況。その異常さにこそ、目を向けなければならないはずだ。大川署長は、その背後にある虐殺という歴史の暗部を照らし出す存在でもあるのだ。」と釘をさしている。https://www.kanaloco.jp/news/social/entry-41781.html
目に入るすべての話題に対してTwitter上ですぐに明確に発言しなければ無関心(=悪)とみなされ、発言したらしたでいつ誤読曲解をふくむ批判が飛んでくるかわからない、しかも批判の仕方が極めて性急かつ断定的で罵りに近いものも含まれる、みたいな雰囲気にはマジで嫌気がさしている。
そういう意味で「(SNS上での)政治疲れ」はしてるし、どのSNSを使うにしろ絶対に繰り返したくない。🐘で一番気を付けようと思っている点。
これは「バズり」の問題とはちょっと違って、早く明確に対応するか否かで誠意(もっと言えば人権感覚)を問われているような感じが強くあったんだ、私はね。
アウトプットできないけど知る/考える、SNS以外で行動することも当然重要なのに、そういうものがないがしろにされてしまう。
そして、悪く言えば、SNSでコメントしたりタグを拡散していれば何かやってる気になれてしまう部分もある。
なので、Twitterなくなったら政治や社会問題への動きが絶えてしまうという危機感は、少なくとも日本語圏においては、あまりにもSNSを過大評価してないかって気もする。社会はもっと沢山のものでなりたってる。
心を病むトランスジェンダーの子どもが増加 社会が求める男女区分に過度に適応しようと苦しむ https://dot.asahi.com/articles/-/199270
トランス差別言説がもっとも苦しめるのは若年の当事者。第二次性徴それ自体に多くのトランスキッズが苦しめられる時期に、側で支えてやるのが大人の役割だろう。
でも現実のトランスキッズはとても孤独で、仲間を見つけようとSNSを開けば自分たちを悪魔化して追い詰める言葉が激流のように押し寄せてくる。大人だって耐えがたい状況を、今、子どもたちはなんとか生きている。トランスヘイターは子どものためと口にするが、実際には子どもたちを危機に陥れている。
BTS/SEVENTEEN/トランスジェンダー差別に反対 she/they