キャンペーンの趣旨とは別に、毎週「休𝕏日」を設けるのは悪いもんじゃないな。𝕏(旧Twitter)にいると次から次へと問題が現れて、何かコメントせずにはいられなくなり生活が𝕏に支配されてしまう。もちろんそれらの「問題」は重要だから無視できないわけだが、一日中それらに反応しなければならないという強迫観念に縛られやすいのが𝕏の特徴。何せすぐクソリプがつくしな。あとちょっとでも黙っていると「moldは〇〇に無反応かよ」などと邪推するストーカーみたいなのが出てくる。そういうのに付き合うのは疲れる。
https://fedibird.com/@lautrea/110892661860999322 [参照]
昔から「炎上」という言葉が嫌いで、まるで「勝手に燃えた」かのようなこの言葉は、「燃えた」理由がその発信者に存在しうるという(多くの場合には該当する)事実を覆い隠すような響きを持っているから。でもトランスヘイトがオンライン上のフェミ系サークルにおいて日常化するようになってから、それとは別の意味で「炎上」という言葉が適切さを欠くと考えるようになった。歌舞伎町タワーの「ジェンダーレストイレ」にせよ、幡ヶ谷の公園の異性介助が可能なジェンダー不問トイレにせよ、明らかな政治的意図をもって、それも明確に差別的な信念や動機に基づいて初っ端「燃やしている」人間がいる。いま、ジェンダーにまつわるトピックの「炎上」は、「燃えている理由」と「燃やしている理由」の双方向から注意して見ないと簡単にトランスヘイトの燃料にされる。「フェミが燃やしている」という、ネット上の反フェミ界隈の定型句のせいで話が面倒になっているけれど、トランスヘイターでもあるフェミニストたちが引き起こしている「炎上」に関しては「燃えている」側に非があるのではなく「燃やしている」連中の認識や目的に問題があり差別性が存在する。安易に乗ってはだめ。
こんなところに書くことではないので詳しくは書かないけれど、「個人的なことは政治的なこと」という(ラディカル)フェミニズムのモットーが、どのような個人的な感情・思想であっても、フェミニズム(的な思考の枠組みや概念)を装えば政治的に正当化できる、という差別や暴力の隠れ蓑にされてしまっていることが多いように思う。Twitterは現代のCR(Consciousness Raising:コンシャスネス・レイジング)のサークルなのかもしれないけれど、そのアルゴリズムがもつ危険に、そしてオンライン上で爆散されているトランスヘイトに無自覚に見えるフェミニストについては、ただそれだけでもうわたしには危険に見えてしまう。
世の中から性差別(セクシズム・制度化されたミソジニー)をなくしていくとか、そのための現状認識を共有するとか、そういうことのための道具としてSNSはとても役に立つのに、Twitterの仕様とアルゴリズムは、「セクシスト」や
「ミソジニスト」である個々人を見つけ出して批判的な引用RTを拡散させるという行動を促してきたわけで、そうして濁流のように引き起こされる「怒りのエコノミー(炎上)」に参加することが性差別をなくすことと等価になってしまってそこから抜けられなくなっている人が優先的に残って暴れる場所にTwitterはなってしまった。人間社会の在りようを「オス」とか「メス」とかの概念分類でしか理解できなくなるような人たちが、昂ぶったその怒りを他のマイノリティへの迫害や暴力に転化させていくのも当然と言えば当然だし、わたしにはもはや目的がどこにあるのかすら理解しがたい。
本日、16:00より𝕏(旧Twitter)休止中…
#tweetlesstuesday
次のTwitter-𝕏停止日は8月17日(#XTheXDay)。これは変わらないが、#TweetlessTuesday のタグも生きていて、毎週火曜日もTwitter-𝕏停止日だったらしい。つまり日本時間8月8日16:00-8月9日15:59
こちらはやりたい人はどうぞという感じか。すでに始まってるし。
ところで、.jpとか.ioとかpawooとかのヤバい画像問題って、もうどしどし他の鯖からメディアブロックとか丸ごとブロックとかされつつある段階なのかな。海外鯖からはブロックされてるぞなんて話を見たことはあるけど、そもそもそういう画像を目にするようなフォローしてないし、LTLはないし(あっても行かないけど)FTLも滅多に行かないから(行けば確かにひでぇ画像を目にする機会はあるが)、実感としてはイマイチよく分かってない。
「俺には想像もできない彼らの苦しみは、彼らが目にした無数の途方もない苦しみがなかったことにされるのに比べれば何でもないことなのだ。
記憶は人の口を経る度にどうしようもなく薄れていく。あの人たちが忘れられることをどうしても許せなかった記憶ももうほとんど忘れ去られている。
78年前の途方もない苦しみはもうほとんどが消え去って、二度とは語り継ぐことはできない。
あの原爆で最も苦しんだ人たちは、それを誰に伝えることも出来ないまま焼け跡で腐れ落ちて死んだ。
それを自分の目で見た人々も、多くは口をつぐんで墓まで持って行った。僅かに語った人々もほとんどが墓の下だ。
老人たちの言葉と比べて、自分の言葉は何と軽いのだと思う。こんな軽い言葉で語るくらいなら、口をつぐんだ方がマシだとさえ思う。
それでも誰かが継がねばならない。俺のこんなにも軽い言葉でさえ、もはやこの世に残された原爆を語り継ぐ声の上澄みなのだと気が付いた。
自分ごときがと思う気持ちは痛いほど良く分かる。それでも口を閉ざさないでほしい。語るべきでないと、口を閉ざした結果があれなのだ。」
これはさすがにもう使いたくないわ、ペケッター…。てか、使ったらダメだ。
『イーロン・マスクがTwitterで児童性的虐待画像を投稿し300万ビューと8000リツイートを集めた50万人以上のフォロワーを持つ右翼インフルエンサーのアカウントを復活させる』
https://gigazine.net/news/20230731-twitter-reinstating-account-child-sex-abuse/
西城秀樹『エピタフ』
https://youtu.be/IIiigfQgUcA
アメリカにおける原爆表現と言えばこれだわ。
https://youtube.com/watch?v=ZSkT-w-N5NY&feature=share
8月1日一斉にTwitterをボイコットする #August1stTweetOutDay はアメリカ人が提案したものだから、8月1日=8月ツイ断ち というのは日本人が思いついたダジャレですよ。
別饅頭と青識が「Barbenheimerはアメリカでは"政治的に正しい"ファンアートになっている! アメリカ発のポリコレはくそ!」とnote売り付けてるようだが、別饅頭本当にそこまで調べたんかぬ…? 社会学者がリサーチするにしても分析に一月以上掛かると思うぞ…