ところで、発端となった葭本さんによる『トランスジェンダー問題』(主に4章)への感想tweetと、そのtweetへの指摘に対する葭本さんや石川さん達の反論も、とても文脈依存的だった。正直、背景や文脈を共有していない私には理解が難しいものだった。
葭本さんやトレメンドスサーカスは、演劇界の性犯罪や、社会構造の中でやりたくないのにセックスワークをせざるを得ない状況に追い込まれてしまう人がいるという問題を、演劇を通じて取り上げてきたのだそうだ。『トランスジェンダー問題』4章の感想の背景にも、セックスワークに関して議論し考え続けてきた蓄積があるのだろうと思う。
だけど、その蓄積せいで、つまり、セックスワークに関する自論に引っ張られすぎたせいで、『トランスジェンダー問題』を読んだ多くの人が、「そんなこと書いてあったっけ?」と首をかしげるような主張になってしまっている気がするのだ。
石川さんはたしか、tweetは論文じゃないんだから、いちいち引用なんかしないのが普通、というようなことを言ってて、それはその通りだ。でも、葭本さんの感想は、どこを読んでそのように解釈したのか多くの人に伝わらない、わりと変わった読み方だったから、あんなに引用しろとか該当箇所を示せと言われたんじゃないかと思う。
で、2つ前のトゥートにも書いたけど、葭本さんは、カワダさんのtweetがアンチフェミと同じものではない、と気づいて、一度謝罪しかかったことがある(親しいわけでもない相手に勝手に愛称をつけてタメ口で呼びかける動画をリプライで送り付ける形だったので、当然相手は謝罪とみなさなかった)。
一方、カワダさんは、作品名を出しながら曖昧な言及をした点についてはtweetで謝罪した(個人的には、謝罪するほどの事ではなかったと感じているが)。
このあたりから、互いに相手の背景を理解できていなかったことが相互に確認できていたら、「行き違い」レベルで収まったかもしれない話だと私は思っている。
……そう。松崎さんと石川さんが、それぞれ独自の解釈で話を無理やり総括しようとしなかったら、こんなごちゃごちゃした話にはならなかったんじゃないかと思うのだ。
一方、葭本さんの感想に対して様々な指摘をした人達(その中には昔からの葭本さんや石川さんのアンチもいたようだが、ここで私が言いたいのは、主にトランスジェンダー、ノンバイナリ等の当事者やそのアライの人達)にも、独特の背景や文脈があったと思う。
近年、トランスジェンダーへのバッシングが本当に酷くなっている。特にtwitterでのトランスヘイトはどんどん苛烈になって、トランスジェンダー当事者やその周辺の人も、支援者も、ほとほと疲れてしまっている。
そんな中で、『トランスジェンダー問題』という当事者をエンパワーするような本が、短期間で日本語に訳され、出版され、話題になった。この現象は、トランスヘイトに反対する人達にとっての希望だ、と受け止められたと思う。
で、発端の葭本さんの『トランスジェンダー問題』への感想には、本に中指を立てた写真が添えられていたのだ。私は、写真を見て瞬間的に「希望の代名詞のような本を侮辱された」みたいな気持ちになったし、同じように感じたというtweetもいくつか見た。
石川さんの言う「『トランスジェンダー問題』でのSWに関する記述に対してもっと多角的に見るべきだ」との葭本さん等の指摘(私はそうは読めなかったが)がそのように受け止められなかったのも、こうした背景があったからだと私は思っている。