今のここは洞窟に向かってぼそぼそしゃべる感じがあるので、ここで吐き出しておこう。すみません、目に入ってしまった方はそのまま読み捨ててください。
昨日、脳の病気を患っている弟の障害年金の申請関連で、去年の春に弟が倦怠感を訴えて行った近くの病院に、診察証明のようなものを書いてもらう手続きをしに行った。
その時に弟を診た医師は、わたしが10年以上前に、一緒に暮らしていた人の白血病の診断をしたのと同じ血液内科医だった。今回も弟に付き添っていたわたしは、偶然この医師にまた当たって、息を呑んでしまった。
10年前、白血病と言われてまだ動揺している当時の彼とわたしに、その医師は「いま、うちはベッドいっぱいなんですよ」といきなり言った。「ここでは診てもらえないんですか」と訊くと「いや、診るんですけどね」とにやにやしながら恩着せがましく答えた。
治療を始めた彼には、「僕はこの遺伝子型で治った人をひとりも知りません」と言い放ったという。サディズムって本当にあるんだと思った。
彼が亡くなって、もう何年も経ったあと、ふと思い立ってその医師の名前を検索してみたことがある。そうしたら「こころある医療」みたいな題名の講演をしているYouTubeが見つかって、吐き気がした、というか吐いた。(続く)
大江健三郎さんが亡くなった。
大学生のころ、南仏に留学して数ヶ月が経ち、日本語に飢えていたわたしに、母が適当に見繕って送ってくれた本の中に『雨の木(レイン・ツリー)を聴く女たち』と『人生の親戚』があった。
それほど読書家ではない子どもだったので、これが初めての大江文学との出会いだった。今から考えれば、初期の大江さんではなく、この頃、いわゆる中期にあたる小説から読書を始められたことは良かったような気がするし、今でもこの頃の作品が一番好きだ。
この二冊を、それこそ数え切れないぐらい、異国での孤独な時間に繰り返し読んだことが今の自分を大きく形づくっていると感じる。
大江さんは、その小説はもちろん、講演やラジオでのお話も好きで、これも何度も何度も聴いた。あの独特のアクセントと、書き言葉のように「〜だった」などとセンテンスを区切るそのやり方、ttaという音の柔らかさが大好きだった。
いつしか、この日を迎えることを思うだけで悲しくなっていた。今、本当に喪失感が大きい。こころからご冥福をお祈りします。ありがとうございました。
大阪に暮らす医薬翻訳者(英日・日英・仏日)|映画『れいわ一揆』英語字幕スタッフ|LOVE:犬|猫|馬|映画|編み物|