その後、監督は、父上の故郷である韓国に留学し、その経験をドキュメンタリーに残されたりし、監督協会の会長など要職を勤めたりしながら、作品を作られ続けた。
自分はテレビ局を辞め、二年余りして、監督の番組を作ったときのカメラマンの会社に拾ってもらい、目の前の仕事と生活を維持するのに必死だった。
2009年、『カムイ外伝』を作られた監督が、当地に舞台挨拶に来られたとき、イベントの司会を担当した局員時代の先輩アナウンサーが電話をくれ、監督に代わってくださった。「覚えていますよ。あの時はありがとう。頑張ってね」と言っていただいたことも忘れられない。
監督、ありがとうございました。