崔洋一監督が亡くなったという。
自分は、当地のローカルテレビ業界に生息する映画好きとして、当地出身の映画関係者に取材する番組を何本か作ってきた。崔監督に取材したのは、まだローカルテレビ局の社員だった1995年で、戦後50年企画の一本として、戦後日本映画の50年という無謀な企画を提案し、なんとか通してもらったので、その語り手として、崔監督に出演を依頼したのだった。
当時、監督は93年にあの『月はどっちに出ている』を監督し、この年には『マークスの山』を公開したばかりで、本当に充実した仕事をされていた。戦後50年というのは、ほとんど企画のための口実で、狙いは崔監督のドキュメンタリーだった。監督には出演を快諾していただき、幼い頃を過ごした当地佐久市に来ていただいた他、東京では、日活の撮影所や月はどっちに出ているのロケ場所に案内していただき、撮影し、思い切りテープを回して、一緒に行ったカメラマンが回しすぎだろ?と自分に言っているのを聞きつけ、「若い演出家は回しすぎるものだから」と言ってくださったことが忘れられない。マークスの山のメイキング映像やシネカノンの李鳳宇さんが月はどっちに出ているの本編映像を無償で提供くださったことも感謝とともに思い出す。
その後、監督は、父上の故郷である韓国に留学し、その経験をドキュメンタリーに残されたりし、監督協会の会長など要職を勤めたりしながら、作品を作られ続けた。
自分はテレビ局を辞め、二年余りして、監督の番組を作ったときのカメラマンの会社に拾ってもらい、目の前の仕事と生活を維持するのに必死だった。
2009年、『カムイ外伝』を作られた監督が、当地に舞台挨拶に来られたとき、イベントの司会を担当した局員時代の先輩アナウンサーが電話をくれ、監督に代わってくださった。「覚えていますよ。あの時はありがとう。頑張ってね」と言っていただいたことも忘れられない。
監督、ありがとうございました。