『北朝鮮は「普通の国」だったという話』というnoteを書きました。
北朝鮮でショッピングを楽しみ、グルメを味わい、プールで泳ぎ、温泉に入り、ガソリンでBBQをするというごく普通の夏の思い出を作りました。
指導者の銅像も革命的なポスターも一つも出てこない訪朝記です。
「プロパガンダ的なものがある」中でも、それにかかる人たちの「普通」があるというのは、2005年に大陸中国を訪れた際に感じた「なるほど」でもあるのですよね…
30人少々での団体旅行だったので北朝鮮と同じく「監視役を兼ねるガイド」がガッチリ付いての3泊4日だったのですが、彼らは日本担当として訪日経験・海外渡航も多数経験したうえで、中国の国策に沿う中での「ギリギリのところ」まで見せてくれようとしたり、それ以上踏み込んだら危険というラインを踏み越えないように見守ることで「安全確保」をしてくれているというのは数日間行動を共にすれば見えてきたし、その中で見えるもの・体験が許されたものにかかる事業従事者や生活者にとっては「そこが暮らしの場」という「普通の場」でもあるのだよな、と…
(監視役のガイドさん、3日目には「今見えているのはプロパガンダ村、彼らは元漁師だけど国際的ビーチリゾート造成のために海から追い出され道沿いで「楽しそうに暮らす」ことが新たな仕事。こういう世界もあるのです。これが現実。」とか言い出したり最終日には「どうやったら日本みたいに社会主義が成功するのか我が国に教えてほしい」とか言い出して…)