『北朝鮮は「普通の国」だったという話』というnoteを書きました。
北朝鮮でショッピングを楽しみ、グルメを味わい、プールで泳ぎ、温泉に入り、ガソリンでBBQをするというごく普通の夏の思い出を作りました。
指導者の銅像も革命的なポスターも一つも出てこない訪朝記です。
鳥の世界ではタイトルだけで燃え盛っておりましたが、敢えての「普通」という表現のチョイスだろうなというのは記事を読めばきちんと見えてきますですね。この一面も、それにかかる生活をする人たちにとっての「普通」の一面、ですものね…
QT: https://mstdn.jp/@twinrail/109846528226138553 [参照]
「プロパガンダ的なものがある」中でも、それにかかる人たちの「普通」があるというのは、2005年に大陸中国を訪れた際に感じた「なるほど」でもあるのですよね…
30人少々での団体旅行だったので北朝鮮と同じく「監視役を兼ねるガイド」がガッチリ付いての3泊4日だったのですが、彼らは日本担当として訪日経験・海外渡航も多数経験したうえで、中国の国策に沿う中での「ギリギリのところ」まで見せてくれようとしたり、それ以上踏み込んだら危険というラインを踏み越えないように見守ることで「安全確保」をしてくれているというのは数日間行動を共にすれば見えてきたし、その中で見えるもの・体験が許されたものにかかる事業従事者や生活者にとっては「そこが暮らしの場」という「普通の場」でもあるのだよな、と…