本は読まない、映画も見ない、歩く姿は百合の花。
しかし、喪服が黒というのもだいぶ新しい習慣なのに。
https://www.osohshiki.jp/column/article/1342/#ha7eeff28a5
「透け感のあるストッキングが好まれる理由は、素肌が透けることで慎み深さや慈悲の思いを表現し、哀悼の気持ちを伝えられるとされているからです。」 ↑そんなことある❓
なんだっけ、クソつまらない映画だったけど、「遺灰を人の多い場所のトイレに流せ」という遺言に従って、空港のトイレに流したところはよかった。
葬式不要、戒名不要、坊主不要。とはいえ、葬式は残された人のためのものだと思うから、故人の意思を無視してやるのは構わない。けど、「やらないわけにはいかないでしょう」と葬式を敢行したお前の死生観と宗教観にのっとって末代まで祟る。
「私の聖遺物の前で泣かないでください」とか。
「私の遺骨の前で泣かないでください」だと流石にな。
「千の風」がどうたら言う歌も、なぜか「お墓」という物体の存在は自明のものになってる。
河川のライブカメラを漫然と見て、何かした気になっている。後方腕組み治水面
正義疲れとか多様性疲れとか疲れの原因が何かっていったら「罪悪感」だろうな。本当の悪人や、多様性を踏みにじってと平気な人間は疲れない思う。罪悪感をもたないことは感情のヒロポン。
今度はお茶に疲れた。
寝て疲れた。そろそろ太り疲れる。
本人は正義疲れだと思ってるだろうけど、それただのSNS疲れだから。
雨の日に近所の公園パトロールおじさん。家を出た時は太陽が出てたのに、公園の池の屋根の下に入ったらめっちゃ降ってきた。もう帰れない。
https://x.com/g2605874/status/1829177668669190471?s=46&t=rnHKKT9T0bt3AA6T1c9O4A山に守られてる
静岡のほうもだいぶ降ってるようだ。
もしかして、国家のお墨付きがない「正義」を、「正義の暴走」とか言ってたりする?
駅前にバスとタクシーのロータリーを作る、下北沢駅前の再開発は、駅からバスとタクシーを発車させたい鉄道会社の生理のようなものかなと思っていた。でも、そこに兵庫県知事を足すと、とにかく車を乗り付けたい「偉い」ひとの感覚も入ってくるのかしらと思ったりした。でも、「偉い」ひとは電車なんか使わないよね。
雨は上がったけど、積乱雲の心霊写真みたいなのが東の空に。
妻は旅行に行き、私は昨日で仕事がひと段落し、今日の週末感がすごい。
ところで、高知駅前の坂本龍馬らの巨大な像。何年か前の高知旅行の際、地元の人に「台風が来たとき倒れたら危ないから片付けるんですよ。あの3体、実は銅像じゃなくてでっかい風船なの。片付けるときは空気を抜くんですよ。プシューッて」と教えていただき驚いたんですが、今ニュースで、確かに片づけてはいるもののクレーンで像を吊ってゆっくり倒しているのを見た。どうやらホラを吹かれたらしい。何年もの間、本気にしていたわ……
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