神学者の方の書評を読んだ。内容を全く汲み取るつもりのない内容だと思った。
でも表題からして、そういう反応は折り込み済みなのだろう。そこから始まる苦い話がされてる。
読めて良かった。
[「セックスする権利」 - アミア・スリニヴァサン 著 山田文 訳 |勁草書房](https://www.keisoshobo.co.jp/book/b618130.html)
https://x.com/hamakoto/status/1870455490800701841?t=2BFHjbGkjqUUiTu8XJrcGQ&s=09
『5月に取材したアイスランドでは小学生では性教育、中学ではジェンダー教育を徹底していた。それは性暴力被害者が圧倒的に10代が多いからなのだそう。日本では学校での性教育だけでなく、教師、弁護士、裁判官、検事への教育が必要ではないか。』
そうです。
日本社会で生活する男性が女性を好きなのはある意味当たり前なんですよ。男同士で話をするのは心底気分が悪くて女の人と話をするのが気持ちよくなる様な構造で作られた社会なんですから。
なにに興奮できるかってマジでいくらでも自分を調教できるからね。
初めは周囲の反応やメディアで見た反応を模倣してるだけ、そのうち多数と同じじゃないと不安なのでそれが強化されていく。恋人を作らなきゃ、性的な経験をしなきゃ、という圧にさらされればなおのこと多数のコードに合わせる様になり、そのうち最初から「自然に」そうであったと錯覚する。
ただ人間はそれを逆向きに解体していったん更地にした上で意図した欲望を自分に移植する楽しみも持ってるよ。
今日の光化門の集会では、ドラマ「シグナル」や映画「お嬢さん」に出演したチョ・ジヌンが送った応援メッセージの映像が流れてたよ。光州の民主化運動に触れつつ、今回の内乱勢力を打ち負かした国民が真の英雄ですと言っていた。
本は読まない、映画も見ない、歩く姿は百合の花。