「人権は思いやりや優しさの問題ではない」というのは一億パー正しいのだけど、それが「人権のためには思いやりや優しさを無くして死ぬまで問い詰めていい」みたいになってるケースを山ほど見たので、思いやりや優しさの価値を見直す必要があると前から思っている。
本来「優しさ」や「思いやり」には、糸井重里的なごまかしじゃない価値がきちんとあるはずだと私は信じている。
Twitterがこれほど邪悪なんだから反対派なのに利用するのはおかしい、対抗目的だろうと手段は免責されないというのはまあそうだと思うし、正論に感じるけど、今まで日本語の主要なプラットフォームって全部そんな感じだったから、正直マスクTwitterが(マスクの邪悪さとはまた別にコミュニティとして)取り立てて邪悪だというわけではないと思うんだよな。
サーバーが違うとはいえ、Mastodonのシステムを使ったjpやpawooはヘイトスピーチや児童ポルノの溢れる場所になってるし、ミスキーはあんな感じだし、YahooYouTubeFacebookは相変わらずだし。かといってInstagramや他のウェブサイトに「良識派ユーザー」が多くいるわけではない。
結局(2ちゃんねるを源流とする)日本語圏インターネットが極めて反社会的なんだから、ネットを使ってる限りその重力から逃れる方法はないし、だからといって「絶対現場主義!口だけのやつはカス!」とか言ってる一部のマッチョな人達が正しい訳でもない。
全体主義国家で反体制運動やるってそんな感じなのでは。
頑張っている