何が言いたかと言うと、殊更遺伝をクローズアップしてさも知ったように論じるのはおつむが足らないんじゃないか、って。単一遺伝子ですらドミナントだって、半分。レセッシブなら単純に1/4。物事は複雑。遺伝の影響は小さくはないが、殊更それだけ重大視することではない。複数遺伝子が絡むなら尚のこと。この妄想の行き着く先が万世一系か。
デリダは、あからさまに哲学者であると同時に作家でもあるサルトルをモデルとしており、哲学としては比較しやすい。ただ、デリダの本領は、自ら「他者」と呼ぶフランス語との「言葉遊び」にあり、無理に形式化しても、それはサルトルの範囲内に収まる。
さて、日本の文学部哲学科ないし仏文科の難点は、フーコーの『狂気の歴史』、『監獄の誕生』、『性の歴史』及びコレージュ・ド・フランス講義を読むための、精神医学と刑事権力、主権と統治性、オルド自由主義などの経済学、より根本的には近世・近現代の欧州史などの知識を全く欠いていること。
であるから、「フーコーと眼差し」などといった全く「ズレた」問題設定になる。ちなみに「眼差し」を哲学的主題にするなら、間違いなく「サルトルと眼差し」でなければならない。
これは部分的には日仏の哲学教育の違いにも由来する。この当時の仏では基本カント哲学をベースにして、アリストテレス論理学・近世科学と哲学の関係をリセで叩きこまれる。
また仏では哲学者は同時に左派知識人でもある。この点が日本の文学部哲学科及び仏文科に全く欠けているハビトゥス。
であるから、フーコー、ドゥルーズ、デリダの日本への導入は、英米と同じく、基本的には失敗した、と総括できるだろう。
若い頃には敢えていつも敬遠していたモーツァルトの短調のピアノコンチェルト、今は短調の作品ばかりを圧倒的に聴くので、そういう意味では変わったのかな。
月月火水木金金
「アルキメデスの大戦」、観た。
色々な意味でよくない。
伏見宮が軍令部総長で最も建造計画に絶大な影響力を行使していた事実に全く触れられていない。山本五十六を名将のように描くのもいい加減やめたらどうか。
また、既に満州事変は起こっているのだから、そこに盲目的でステレオタイプの海軍善玉論も全くいただけない。
館ひろしが記憶にある限り一番似ているけれど、山本はあんなに背が高くない。
ネタバレになるからここまで。
円山動物園のゾウの赤ちゃん🦣、タオちゃんがかわゆ過ぎてやばい。
札幌市民はみんなやられているんでは。
というか、あれなら全国から行くでしょう。
ブレゲがマリーアントワネットのために作った伝説級の実物時計、見てみたい。
A qualified Psychiatrist, working in Tokyo.
love classical music, trout fishing and nature.
Never War.