「ホロコースト」に関して言えば、西ドイツでもそれ自体として取り上げられはじめたのは、1980年代以降。また「非ナチ化」が不十分なものであったことが公に議論されるようになったのも、それとほぼ同時期である。
これは隣国の仏でも同じ。何度も書いたが68年までは仏でも右翼のデモが「ユダヤ人をガス室に!」と叫ぶのは普通だった。
西ドイツでは有名なシンドラーは戦後ドイツ人から「嫌がらせ」によって破産に追い込まれ、イスラエルに移住。M.ディートリッヒはドイツを訪問した際、空港で「マレーネ、Go home」と叫ぶ群衆に取り囲まれた。
つまり、冷戦の中で西ドイツは「非ナチ化」よりも「反共国家」であることが優先されたのである。
実際西ドイツの情報機関BNDの初代トップはゲシュタポのR.ゲーレンだったし、スタッフも基本ゲシュタポである。これを支援したのがCIA。仏占領下の「リヨンの虐殺者」K.バルビーを米陸軍情報部が匿い、その後ボリビアに逃がしたのも同じ文脈である。バルビーはボリビアでゲバラ殺害に関与。
ただし、旧ケルン市長K.アデナウアーは一応「反共反ナチ」で戦争中カトリックに匿われていた。これを戦後米国が担ぎ出したのである。
また連邦検事もナチス時代と同じ。ただし民事と労働法は根底から変わった。
ガザのパレスチナ保健省によると、飢えたパレスチナ民間人が食料援助トラックの周りに集まっていたところ、イスラエル軍が発砲するという混沌とした事件で、少なくとも104人が死亡、760人が負傷した。
ガザの地元ジャーナリストによると、死傷者の「殆ど」は、イスラエル軍の砲撃から皆が逃げようとした際、援助トラックが人々にぶつかった結果だという。
現場にいた事件の目撃者は、支援トラックから食料が配られるのを大勢の群衆が待っていたが、踏みつけに繋がる混乱と混迷はイスラエル兵が発砲して初めて始まったと語った。
イスラエル当局者は、国防軍が支援トラックを取り囲む人々に実弾を使用したと語った。「群衆は軍隊に脅威を与えるような態度で軍隊に近づき、軍隊はその脅威に実弾で応じた。 この事件は調査中だ。」
パレスチナ赤新月社の報道官は、瓦礫が道を塞いで救急車が辿り着くのに難儀しており、多くの遺体や人々は依然として路上に投げ出されていることから、死者数と負傷者の数は増えると見込まれる、と語った。 https://edition.cnn.com/2024/02/29/middleeast/gaza-city-deaths-food-israel-intl/index.html
A qualified Psychiatrist, working in Tokyo.
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Never War.