私たち各人は、私生活においてもやはり暴力的です。私たちは腹を立てます。私たちは自分を批判する人を好みません。私たちは自分の生き方に口をさしはさまれることには我慢できません。私たちはたいそう防衛的で、だから攻撃的です。そのとき私たちは特定のドグマ的信念にしがみつき、国旗と呼ばれるボロキレ共々、 自分の国を崇拝したりするのです。【人生をどう生きますか?セクション2第2章第9節】#fedibird
瞑想とは精神を既知なるものから空しくすることである。既知なるものとは、すなわち過去である。空しくすることは蓄積の終わりに起こるのではなく、むしろ何ものも蓄積しないことを意味する。#fedibird
野心的な人間は最も怯えた人間です。なぜなら、彼はあるがままの自分を恐れていて、「もし私が今のままだと、私は何者でもないことになってしまう。だから何者かにならなければならない」と言っているからです。#fedibird
所有があるところに、愛はありえません。所有とは愛の破壊なのです。【人生をどう生きますか?セクション2第2章第8節】#fedibird
長い間反応し、何かを投影したり、防衛したり、あるいは主張したりするように条件付けられてきた脳細胞は、物事をありのままに見ることによってのみ静かになる。このような沈黙の中で、見る者、経験する者という中心が終焉した時にはじめて、混乱を生むことのない行為が生まれる。#fedibird
我々が真に孤独になれるのは、問題に直面したら問題を明日にひきのばさないでその場でそれを解決する場合である。それ故、多くの人がいる家の中にあっても、バスに乗っていても、孤独になる事ができるのである。この孤独が常に新しい心、天真爛漫な心を示しているのだ。#fedibird
世界はあなた自身の延長であり、世界は複製され、増幅されたあなた自身なのです。【人生をどう生きますか?セクション2第5章第2節】#fedibird
どんな公式にもいかなる導師にも従うことなく、自分自身を理解することが肝要なのである。このたゆみない、選択をはさまぬ自覚によって、あらゆる虚妄と偽善に終止符が打たれるのである。#fedibird
オープンな精神を持つことは学習より重要です。そして私たちは、情報を詰め込むことによってではなく、自分自身の思考と感情に気づくことによって、自分と自分に作用する影響を注意深く観察することによって、他の人たちに耳を傾けることによって、オープンな精神を持つことができるのです。#fedibird
オープンな精神を持つことは学習より重要です。そして私たちは、情報を詰め込むことによってではなく、自分自身の思考と感情に気づくことによって、自分と自分に作用する影響を注意深く観察することによって、他の人たちに耳を傾けることによって、オープンな精神を持つことができるのです。#fedibird
精神や心情が、教育や、社会によって定められた豊かな感受性を否定するような規範へ順応することで鈍磨させられてしまったように、我々の肉体もまた鈍磨させられてしまったのである。#fedibird
執着のあるところに愛はなく、依存があるところには恐怖がある。#fedibird
私が無事でいたいと思ったり、銀行預金やいろいろな楽しみを持ちたいと望んでいる限り、また生理的、あるいは心理的に何かになりたいと思っている限り、必ず苦しみがあるのです。私が苦しみを避けるためにやっていること自体が、恐怖と苦痛を生み出すのです。#fedibird
あなたは自分自身が暴力的でなく、毎日平和な生活、競争も野心も羨望もない生活、敵意を生み出すことのない生活を実際に送っていれば、世界に対して大きな影響を与えることができるのである。小さな火も集まれば巨大な炎となるのだ。#fedibird
問題は私たちが何を考えるかであって、他の人たちが私たちに考えてもらいたがっていることではありません。伝統に追随するとき、私たちはすぐに、「こうあるべし」ということのたんなるコピーになってしまいます。【人生をどう生きますか?セクション1第4章第7節】#fedibird
教育や社会は、われわれを戦争に送り出し、われわれにとってかけがえのない美や心の優しさ、喜びの気持ちといったものをことごとく破壊しているのである。#fedibird
すべての思考は明らかに条件づけられています。自由な思考などというものはありません。思考は決して自由たりえず、それは私たちの条件づけの、私たちがもつ背景、文化、風土、社会的、経済的、政治的背景から生み出されたものです。#fedibird
思考は教会を建立し、救世主や導師を生み出してきた。思考は国家あるいは国民性といったものを考え出し、さらに国民を互いに反目し、対立しあう様々な集団や階級に分けてきた。思考は人と人を引き離し、孤立させ、そのようにして混乱と大きな悲しみをもたらしてきた。#fedibird
正しい生活とは、社会のモラルに従うことではなく、羨望、貪欲、権力の追求など反感や憎悪を生む一切のものから自由になることである。これらからの自由は、意思的活動ではなく自己認識を通じてこれらに気づくことによって生まれる。#fedibird
人は自分自身を理解することなしには世界の情況を変化させることに着手することはできません。もしあなたがそれを見るなら、その時即座にあなたの内部に、完全な革命が起こるのです。#fedibird
インドの宗教家、哲学者クリシュナムルティ(1895-1986)の珠玉の言葉をお届けします。1日に4回、時に沈黙、時に暴走。09年よりTwitterにてご愛顧賜っていましたが、23年7月にapi接続不可になりました。23年1月よりfedibirdにお世話になっております。当初はIFTTTにて連携していましたが、23年4月、自動投稿プログラムを作り運用始めました。24年12月 X でも再開しました。
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