ついでに書けば、自分に向かってこの言葉(鉤括弧付きと雖も何回も書きたくないので指示語で表現)を使ってる人も、誰にでもある人間の一部が自分の中にあることが許せずに自らを罵倒(自嘲)する時に使っているんだと思う。
他者に向かって使うのと違って、自分に向かって使うのを他人が止めろと言うのも越権行為だとは思うけれど、本当は聞いている方としては止めて欲しいと言う気持ちは湧き上がる。
おそらくその理由は、向ける相手が他者か自己かの違いがあっても、そこで起きているのは暴力だからだろう。
他者に対する暴力は、身体的なものであれ、経済的なものであれ、心理的なものであれ、社会のルールとして一定の制限を掛けるべきだし、かけることが可能。
ただ、精神内界のことについて、他人が踏み込むことはなかなか難しい。出来て「そんなことは言わないで」とお願いするくらいまでだし、お願いする事で、声に出しては言わなくなったとしても、その人が心の中で言うことは止めさせられないので(そんな権利は誰にもない。極論すれば本人にさえないのだ)、単に「私が苦しんでる事は他の人には不快で迷惑なんだ」という怒りや絶望と共にうちに籠らせるのが関の山。
そのために心理療法があるのだが、下手したら“親切な“カウンセラーはそれを宥めて黙らせようとしてしまう。