小さい頃は今よりも食べ物の好き嫌いがあって、自分でも謎なんだけど卵の黄身が好きじゃなかった。目玉焼きでもゆで卵でも、白身だけ食べたかった。
お菓子を作りたい…………何がいいかな………………何が………………カスタード………………………………カスタード炊きたい………………プリン作りたい……………………食べるのはだし巻き玉子でもいい
しごおわ〜〜あまりにも寒いので野宿者支援団体に寄付しました(支援先は他にもたくさんある)。
これは命の危機だろ…………
私自身は読書が好きだし、読書は自分を豊かにしてくれていると思う。
けれど、「読書家」は孤独になりやすいし、偏屈になりやすいよね。本を読んでいない/その能力が低い人を、軽々と見下すようになりやすい。大衆蔑視。自分もさほど違わない「大衆」なのにね。
知的階級の人々は、読書して知識を得る前の恵まれた前提には口を噤むことが多い。研究仲間と健康と経済的背景と地位に恵まれながら「孤独」を薦めたりする。自分の下駄を「空気抵抗」のように扱ってしまう。
テキストがメインのSNS(Mastodonもそう)では、知的階級はマイノリティーの代弁をしつつも「強者」なんだよね。
Mastodonは好きな部分も多いけれど、奢った知的階級のひとも多いな、と思っています。
少しだけ負荷をかける。政治の話、不条理が罷り通る今の状況を話してみる。夫が怒りを見せたところで「もうやめよう」と言ってやめる。しばらくはその話をしない。少し元気を取り戻したらまた話す。夫が怒り出したらキリのいいところでやめる。
そんな感じで少しずつ、少しずつ負荷をかけ、怒り続けるという訓練をしてもらってる(本人には言ってないけど)。そうして体力をつけてもらおうとしてる。
この先、もっともっと暗くてつらい状況になるかもしれない。その時、夫の心を守りたいからやってる。もちろん、自分にも同じことをしてる。
つらくなったらやめる。全く関係ないのほほんとしたものを見たり聞いたりして休む。元気が出たらまた考える。今の状況に憤る。
ほんとにマラソンみたいなものだと思うから。まだまだ先は長い。疲れてしまっても休憩所は設置してない。自分で休み所を作っていかないともたないんじゃないかなと思ってる。
その間もどこかで誰かが怒ってくれていて、でもその誰かが疲れてしまったら、今度は自分が代わりに怒る。そんな風に持続できたらいいなと考えてる。
意識の格差みたいなものをよく感じてたんだ。ある社会問題に対して、とてもよく勉強し考えて考えて自分なりの言葉を持つ人と、それが問題だとは思うけれど、それ以上は考えない人。同じ市井の人なのに何故こんなに違うんだろう、と考えていて、その人たちの体力の違いに気づいた。
身近な例ではうちの夫。かなり意識も高いし、今の政治に対しては心底憤っている。が、今は押し潰されている状態というか、抑うつ的な状態というか。ハリーポッターの映画ですら疲れてしまって見られない。あれは後半には独裁者とその傀儡による差別主義、人権侵害がモロに描かれるから、今の日本と重なってしまって耐えられなくなる。
元々政治の話が好きだった人だけれど、そこには知的興味はあっても怒りがなかった。怒り続ける訓練をして来なかった。今、この閉鎖的で怒っても怒っても出口がほとんど見えない環境の下で怒り続けることに心底疲れてしまったんだと思う。
自分は逆で、ずっと怒り続けてきた。政治にも不条理にも差別にも、当事者として怒りを常に抱える環境で生きてきた。だからまだ体力がある。
今は夫にインターバルトレーニングをしてる。
周りの人、いわゆるノンポリの人たちを見てると、今の政治に疑問もあるし、現状がいい方向に変わるならそうなった方がいいと思う人がほとんどなのよな。文句なんかも度々出たりする。
が、それが左派の人たちの運動やデモにはほとんど結びつかない。何故かなって考えていて、数年見ていて気がついた。
彼らは考え続ける精神的な体力が無いんだ。鍛えられてないからすぐ疲れてしまう。社会問題や政治の問題など、その場で憤りはするけれど、それを持続させる体力がない。
左派の人たちはずっと考えてきたし、そんな波の中に自分を置いて、常に考え、情報を得、更に考え、行動に移してきた。いわば鍛えられてきた。だから考え続けることができるし、行動に移すことにもたいしたハードルはない。
よく左派の人たちが言う「何故この問題を無視できるのか」「何故怒らないのか」「何故行動しないのか」に対しては、「もちろんそう思う。思うけど、疲れてしまって」という声を聞く。
鍛え抜かれた左派の人たちと同じようには走れない。初心者がマラソンランナーと同じに走るようなものじゃないかとそんなことを考える。
インターバルトレーニングが必要じゃないかな。
以前Twitterで"文豪がカップ焼きそばの作り方を書いたなら"という遊びがあった。面白かったので自分も書いてみたんだけど、メモに残っていたので投下してみる。
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カップ焼きそばの作り方 〜宮沢賢治風〜
なかなかどうしてたいしたもんだ。こいつで腹がふくれるのだよ。
ふうわりきらきらと箱を包んでいる外の袋を破いて、紙のふたをめくるのだ。ふたあつ、小さな袋が並んでいる。どちらも取り出しておくのだよ。
グララアガア、お湯が沸いたのだね、グララアガア、お待ちったら、そんなにすぐには行けないよ、グララアガア、おやおや薬罐の口からお湯が飛び出している。
ああ、にゅうとちぢれた太麺にあついあついお湯が跳ねて、そこらじゅうにやわらかな白いもやが沸き立っている。
「ぜんたい、ぼくは焼きそばが好きだねえ」
ふたの上に乗っかったソースが、滑らかに優しい声で「3分たったかい?」とこう言うのだ。どこまでも深く黒いくるくると艶やかなからだを小さな袋に閉じ込めて「3分がたったならもういいのだよ」と歌うのだ。(続)
ごった煮アカウント。漫画と文章と食べ物が好きです。2016年のアニメYOIをひたすら噛み締めています。たまに粉を焼く。人種、ルーツ、外見、障がい、ジェンダー、セクシュアリティ、トランス差別に反対。
最近ちらほらフォローしてくださる方、こっちはほぼ動かしていないサブアカになりますのでご留意ください。
大体こっちにいます→ @kitsunekirin