>「直接子供たちに育英資金を与えてしまうと、親の援助が不要になるので、親に恩義を感じて老後の面倒を見るというようなことがなくなってしまうかもしれない。貸与型の奨学金制度は、親が子に恩恵を与える余地を残す、言い換えれば、家父長制を温存するために導入されたという源流を持っていました」
https://twitter.com/POSSE_mag/status/1605409221893316610?t=JOfcC3xMSdU5A60lxdXoTg&s=09
「暴力はいけない」って育てられた人の中にはどうあっても暴力を振るうことができない人がいるし、その人に暴力を振るわせるように仕向けることはとても無駄なので、その人なりの最大限度内ギリギリの暴力を奮ってもらうほうがいいと思う 無言か罵倒かの二択ではなくて
本当は言いたいことがある人を無言にさせるか、罵倒しないお前はクズと見做すかの二択ではなくて
本当は同じように苦しんでるのに言いたいことを言葉にできない人、罵倒で苦しんできた経験がある人たちは、罵倒界に罵倒担当として参入することが不可能なので
罵倒は才覚とか度量とか反射が要るので罵倒担当の人はある種の華やかなさがあるんですけど、どうしても罵倒担当に回れない人の方がどう考えても数が多い
①②③④⑤になってるときに②③④⑤の数を増やすと自然にグラデーションが発生する
そのグラデーションなしには多くの人がその場に入ってきたり留まったりすることができない
数が要る。
前提:これは人が差別に反対するときの態度や言葉遣いを変更させようとするものではない
「差別に怒りを表明してる人①」「差別に怒りを表明してる人②」「③」みたいなグループがいる
①の人は「大声で罵らないと聞いてもらえない」を戦法に論陣を張っていてそれはそれで成功している
②に「差別に怒りを表明するが批判の言葉遣いの中に悪口や差別用語を含めない」がいる
③としてそれをRTする(自身の方向性について表明はする)
④としてそれをいいねする(方向性について相手方が確認すれば意思表示らしきものや意図があることがうかがえる)
みたいな感じになってると思ってるんですけど、①の手法にどれだけ効果があっても、意見にこそ賛同するがその手法がストレス過ぎて問題そのものに参入してこれない人がいる
あれらの悪口や罵りはそれぞれの人の過去のトラウマの再燃みたいなものとして機能していて、あーなんかもう無理ですそれだけで無理無理無理、みたいになっていて
悪いもんは罵ってこ!態度にどうこう言われる筋合いはない!っていうのはとてもよくわかる、そうあるべき、あれはある種の層に対してはとても効果的で、それはそれとしてそれ以外に②をやる意義はあると思っていて
結論:矢面に立つべきは②だと思ってる
執筆依頼があり、集英社オンラインでMastodonについての記事を書きました。
https://shueisha.online/culture/18417
20〜30代がメインターゲットの、スマートフォンで情報収集している層を想定した媒体だそうです。
皆さんには物足りない内容で至らぬところもあるかと思いますが、お手柔らかにw
ざっくり、
・MastodonはTwitterの代替を目指して作られた
・Twitterの問題を踏まえて、分散の仕組みにした
・Twitterから移行しなきゃと思って選ぶのが別の商用SNSじゃしょうがないから、Fediverseにしとけ
・とはいえTwitterと同じものはここにはないからそれは承知しとけ。あとみんなで来ないと無理
といったことを書きました。
時事は枕なので適当ですが、まだイーロン・マスクさんに振り回されている状況には変わりがないですね……。
@hiba_Asunaro ありがとうございます、検索するたび「うまいな〜」って感心しているのになぜか忘れてしまう……!
「宝塚ってシティハンターの『もっこり』を何て言い換えたんだっけ?」ってたまに思って検索しては毎回忘れています エビングハウスも少しは俺の話を聞けと 思っている ことでしょう……🍤🏠