秋の空気に何か混ざっているらしく喉が腫れています。花粉症だと思う。
太平記にはもう一つ不思議なところがあって、編集時のミスかもしれないけれど前半と後半に少しずつ内容が重複した菅原道真の話が2回挿入されている。
ここで繰り返されるのが、讒言をいれて道真を無実の罪に問うた醍醐帝が「地獄に堕ちた」とされる箇所。他の部分では明君であった帝ですら地獄に堕ちるのだから、まして他の人はどうであろうか、などと言及されてもいる。この場合の「他の人」とは、名指しはされていないが醍醐帝の諡を継ぐことになったあの人に他ならない。
紫式部先生の男兄弟は、先生の天才性を強調するために凡庸な人として創作では扱われがちなんですが、本人の歌集か何かのエピソードを読むと風狂パンクな人なのよな。斎院に忍び込んだ時にサラッと和歌を詠んで赦されたり、仏の救いを拒否して死んだり。
男きょうだいよりよく出来た、という自慢話を式部先生が書き残すということは、当時は兄さんわりと面白枠の有名人だったのではと思っています。「箒木」の式部丞が兄さんで、左馬頭が夫君だと思うと内輪ギャグとして深い滋味があります。
この2人が編集者的に設定協力したり、仲間内で若い式部先生の小説を回し読みさせたりして、男性読者の獲得に貢献したのではと思っています。天才の裏にチーム有り。
ようやくResultsに再突入する。wordが重いので不要な物から編集履歴をプチプチ消す。
この冬の新型コロナウイルスの集団免疫を高めるために予防接種に行ってきました! 褒めて! たとえ諸事情で打てない人が増えても経済はワシが動かすから安心して下さい! ボーナス1億円欲しい!
太平記、貨幣関連のこの話は続きがあって、後半の八幡連歌の夜にとある老武士が語る、北条家黄金時代の清廉の士、青砥左衛門(どうも葛飾区青砥に住んでいた人らしい)の逸話が出てくる。
ある夜川を渡ろうとして十文の銭を落とした左衛門は、五十文の松明を買ってきて夜の川を探し、銭を取り戻して喜ぶ。誰かがそれを笑うと彼はこう答える。
「十文の銭は、ただ今求めずは、滑川の底に沈んで、長く失ふべし。続松を買ひつる五十の銭は、商人の家に留まって、失ふべからず。我が損は商人の利なり。かれとわれと、なんの差別かある。かれこれ六十の銭、一つも失はざるは、豈に天下の利にあらずや」
この時代は中国から輸入していた銅銭が流通しており、金には限りがあって増えることはない。彼の言っていることは本質を射ているのです。
まあこういう面白い話の間に、ごった煮のように剣と魔法と虐殺の世界があるので手放しで褒められないのですが、この本。
職場のPCに許可された以外のソフトは(特に外国製)入れられなかったので、韓国の政府系公開資料を読むのに難渋したことを思い出しました。懐かしいですねHWAファイル。
そんな私は勿論一太郎ユーザー。
つくばで働く団体職員です。植物や鳥が好きです。