毎日毎日、火事場の煙の如く俺の周りを囲むいじめっ子に、すかさずゲームブックを繰り出し、少しでも退屈させれば四方八方から鉄拳が飛んでくる修羅場を「作品を見せて人気者になってうらやましいなあ」と捉える楽観ぶりと、その解像度の低さに俺の怒りのスイッチが入った。
俺の地獄の苦しみをそんな風に、こいつ。
彼の作品がいかにクオリティが低く、いかに人を楽しませる気持ちに欠けていて、いかに独りよがりで、つまらなくて、見づらくて、丸パクリで・・・ひとつひとつ悪い点を指摘し詰めていった。
なにより、ここで潰さなければ。万が一この人が俺よりもおもしろい作品を作ってしまったら・・・。
この分野ではこの学校で俺に勝てないから、まったく別の方法で人の興味を集めるべきだと締めた。
思えば、彼とはこれがほぼ初絡みだ。彼は完全に沈黙し、その日以降、作品を作ってくることはなかった。
ひどいことをしたと思うが、生きるのに必死だった。彼を潰さなければ俺が死んでいたのだ。
すべてが厳しかった小学生時代においてはこんなもの大したエピソードではないのだけど、
明らかな脳死丸パクリや劣化コピーの作品を見たり、黙々と作業を進めている静かな時間など、ふと思い出すときがある。
余談だけど、俺と、俺のいた社会にとって創作作品とは、「目上の強者を楽しませるために、目下の弱者が必死で考案し、献上するもの」だった。
だからその後の人生で、素晴らしい作品を作ることが美徳とされ、えらいすごいと崇められ、努力といえば創作をすることだという美大生文化を認識し理解するのに、数年以上かかることになる。