行政とか企業が想定する生活者の姿が、パートナーがいる人や子供がいる家庭に偏っていることが何気にちょっとつらいな。私は一人でも家族がいなくても、しっかり生活を営んでいるのに。
『障害者差別を問いなおす』(荒井裕樹 著)
ずっと積んでいたのをようやく読了。日本の障害者運動について全く知らなかったので勉強になった。現在のAutism rights movement と重なるところも多くて、熊谷晋一郎さんもおっしゃるように、波がふたたび寄せて来ているんだなぁと。
青い芝の会の運動が、親や「親的な価値観」に対抗するものである、という部分が印象に残る。家父長制と闘う、というときに僕がイメージするのはつねに、家であり、親であり、それは男性の姿をしているとは限らなかった。女性だけでなく、子ども、障害者、性的マイノリティ、ニューロマイノリティ、そういった人たちの声を抑圧し、自己決定権を剥奪し、自らの所有物あるいは付属品のように扱う、その力を拒絶したいのだ(だから子どもの利害を母親が決められるかのような、一部の議論には違和感を覚える)。
数日前に少し話題になったように、医療が発達障害の人のアイデンティティを否定し、健常者中心主義とシスジェンダー規範の合わせ技で人権を侵害することについて、あるいはシュライアーのヘイト本のように、親が子どものアイデンティティを勝手に決めつけて当事者の声と生を奪いとることについて、明確にノーを言える社会になってほしい、していきたい。読みながらそういうことを考えた。
(クリップ📎)精神科の「闇」を告白した医師が、差別の歴史を振り返った 世界と逆行する日本「昔も今も違憲状態」:東京新聞 TOKYO Web
https://www.tokyo-np.co.jp/article/324707
初老のおっさんです。最近ゲームばっかしてるのでゲームの話しかしないかもしれません。