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「情報量が濃いので観たあと疲れる」ってのはぶっちゃけMMFRのときからあったなぁ…好きなんだけど年に一回観るのも重い気が(というかトータルで二回くらいしか観てないかもしんない)

『マッドマックス フュリオサ』感想

トキシック・ファンダムに負けない。クィアな視点でこのシリーズと最新作映画を掘り下げています。「ストレートな男性主人公が悪しきゲイ男性集団を成敗する」という規範的な秩序をもたらす意味合いが感じられた過去作の物語構造からどう変化していったのか。フェミニズム映画として前作以上にわかりやすくなっていたのではないでしょうか。家父長的な偽善者に復讐するときが来た! #映画

👇 ネタバレあり
cinemandrake.com/furiosa-mad-m

あー、マジでヤフーのスマホ版トップに出てくる記事一覧からタイトルに「次の瞬間」を含むやつだけ非表示にしてぇ

フロントミッションはプレイしてないけど友達がやってるのを横で見てたからなんとなく展開は覚えてる。なおさっきのネタバレも物語の根幹にバッチリかかわるのでものすごくエグいというか後味が悪いというか

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「フロントミッション」のネタバレなので隠す 

もっともフロントミッションの場合はプロセッサのために脳細胞を培養するんでなくて生きてた人の脳をそのまま人型兵器用のコンピュータとして転用するみたいな話だけれど(なお人の脳を転用したコンピュータに生前のその人物の名前がついている、というある意味グロテスクなことになったりする)

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そういえば「人の脳細胞を培養してコンピュータのプロセッサに使う」とかいうニュースをちらっと見たが、その話を聞くと「フロントミッション」を思い出さざるを得ない

どちらかというと「死」と「死にたくない」の間で揺れている状態だと思われるので、「死にたくない」の方向に引き戻すような説得が必要である。

「絶望」しきっている人に「希望」や「未来」を志向させるのは当然並大抵ではないので、政権交代が起きたところで容易に変わるわけではない。ただあくまでも彼らは直接的な自死に踏み切りたいわけではなくて(その気持ちがあればとっくにやっているだろう)、

その手段は様々だが、手軽なところでは「(国家主導の)安楽死制度」「事故」「戦争・紛争」「大震災」またそれに対する救済の欠如などが求められる。あくまでも原因が「国の政策」や「天災」であれば、自分は責任から免れて、わけもわからないままに死ぬことができる。保険だって降りるかもしれない。

逆に、リベラルや左翼は「未来」とか「希望」とか言うので、感情的に嫌悪される。
絶望している彼らは、だが色々なしがらみや躊躇いから、自分では「死」に向かうことが出来ない(当然思い切って自死してしまう人も中にはいるけど)ので、誰かに「死なせてもらう」ことを望んでいる。

決してマジョリティとイコールではない。
「ネトウヨを容認してしまうマジョリティ層」は別にネトウヨに同意しているわけではなく、ただその主張の「死」や「破壊」「暴力」との類縁性・隣接性を好ましいと感じ、任せておけば問題ないと思っている。

以前も書いたけど、政治的関心を持たない・デモなどにも参加しない人たちの根底に、ある種の絶望というか、「自身の死」に向かうパースペクティブがあるのは否定できないように思う。ネトウヨみたいな人たちはただの権威主義者なので、無関心層と比べるとわかりやすく目立つんだけど

「グレムリン」も「E.T.」も「未知との遭遇」も観たことなかったわ。そういや。

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そういえば「13日の金曜日」も「エルム街の悪夢」も有名なのに観たことなかったな…

というかそもそもそこまでホラー映画に興味がなかった

ユーミンと大物右翼「頭山家」の知られざる血脈と交流 @gendai_biz gendai.media/articles/-/51254

「不都合な真実に気付いちゃった気付いちゃったワーイワイ😆 」とかいう連中、先ず精神的レベルとして中学生ぐらいから卒業しよな。

日本みたいな自然災害多発地域で原子力発電なんてやってるのがそもそもイカれてんだって。

核融合発電とマイクロ波(宇宙太陽光)発電はシムシティ2000に出てきたけど、現実的問題として実際に技術確立して動かすのは不可能やろね。自然・再生可能エネの技術進歩はかなり進んでいるし、そんな方にムダ金使う必要はなかろう。

また例によって悪い雑誌を買ってしまう。『WiLL』2024年7月号に、元プレジデント編集長だという人物が

「太陽のエネルギーは核融合によって生み出されている。原子力発電に反対する太陽光発電推進論者にとって、これは「不都合な真実」であろう」

……などとドヤ顔で書いていて、こんなクズい藁人形で原稿料を稼げるの楽ちんすぎるが、ここまでアホなことをかけるのはそれなりにつらい作業ではナイカ、などと考え。

ということは、(もしそうなのだとして、という話にはなるが)他者に関心や関わりをうまく持てない人、あるいは持つ気がない人というのは、社会に対しても関心や関わりを持てない、持たない、と言える可能性もあるのか。

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