自分も一応3年くらいはプロレス(しかも件の団体)をわりと熱心に見てたので、件の団体がなぜか唐突にいち議員のツイートに抗議するという事件について(ひとりの半端左翼ではなく)「プロレスを見てた人間として」なにか言いたいところではあるのだが、言うても見てたのは3年程度なので、プロレスというものの本質も、その周辺をかたちづくる要素も、比較的わかっていない。
自分が(今回問題?にされた括弧づきの「プロレス」ではなく)プロレスについてわかっているのは、「体をはっているというこの上なく強力な事実、それこそがすべての疑問疑惑疑念を組み伏せ3カウントをとれるほどの最大の説得力である」ということくらいだ。
(続きます)
考えて欲しい。そもそも、映画やドラマだって、筋書きが決まっているのだ。役者は登場人物として、その人物の役を演じているのであって、実際にそのシチュエーションに曝されているわけではない。しかし映画やドラマが、ことごとく意味のないもの、空虚なものになるだろうか。
筋書きが決まっているとわかっているか否かの違いがあるじゃないか、というツッコミは重々承知だが、実は「筋書きの有無」すら問題にはならないはずだ、とおれは思う。映画やドラマがフィクションである、という前提を、見る側も演じる側も共有しているのと同じく、プロレスだって「(リング禍が起こらない限り)相手が死んだりすることはない」という前提を共有しているのではなかったか。